ここでは、失恋ゲームの概要について説明する。
失恋ゲームとは、次のような事態である。
* * *
「僕」は「君」が好き。
でも、「君」は「彼」が好き。
僕には君が言ったことは、どんな些細なことでも、本当のこと、
何か世界の深淵について述べた真理のように思える。
君は彼が好きだと言った。いや、言わなかった。
でも僕にはわかる。わかってしまうのかも…。
君の彼に対する愛は、揺るぎない真理である。
僕はそれを認めざるを得ない。
Love is, therefore I believe. 愛あり、ゆえに吾信ず。
I believe, therefore Love is. 吾信ず、ゆえに愛あり。
愛あり(たぶん。君を見ているとなんだかどきどきする。
もしかすると、残念ながら僕は君のことが好きなのかもしれない。)
ゆえに(だから)
吾信ず(僕には君が言ったことはみんな本当のことに思える。)
吾信ず(僕には君が言ったことは、いや、言ってないことも、
いくらかはわかってしまうし、それは僕にはどうしようもない)
ゆえに(だから)
愛あり(君が彼を好きだということを……僕は認めざるを得ない。)
* * *
一番重要なことは、「失恋ゲーム」の主体は誰か、ということです。
もちろん、「僕」ですが、僕が実際に失恋ゲームに参加しているとき、
まだその時点ではその恋が成就するのか、あるいは破綻するのか、
わからないですよね。
だから、「失恋ゲーム」として僕らが観賞しているのは、失恋ゲームの
録画なんです。全部終ってしまった時点(つまり「僕」が「失恋」という
結末を知った時点)から遡及して、この「失恋」全体について語っている、
というように時系列が転倒した形で構造化されています。
「失恋」の事実に愕然として「どうしてこうなっちゃったんだろう?」と
問うている「僕」という視点を通して失われた恋愛について語られます。
「僕」は「失恋」というラベルタイトルがつけられたつまらないフィルムを
何度もリピートする。
「失恋」という結末を知っている「僕」が「君」との出会いについて語る
シーンは、僕は余りに美しく、余りに切ないと思います。
「僕」は知っている。これから先、「君」が誰を好きになるか。
でも、「僕」は「君」と出会えてよかったと思う。
全ては無駄に終った。「僕」は自分の選択の全てが間違いだったという
結果通知を受け取っている。
でも、それでも「僕」は(例えば)「あの場面」で、何度でも同じように振舞う
だろうと確信する。
これは「純愛の悲恋」でさえない。「純愛」の物語に照らし合わせれば、
何の意味をも担えないバッドエンドだからです。
「君」は「君」でなければならない。でも、「僕」は「僕」である必要がない。
現に、本来「僕」が納まっているべきだと「僕」が主張しているその位置には
「彼」が立っている。
「この失恋」を以って、愛の一般交換の地平が立ち現れます。