この人を見よ! | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

メリークリスマス!ひょろです。


いや、素晴らしい。

うまくいってよかったですね。

このために日程調節したわけですからね、ええ。


聖なる夜にブログトップが「失恋ゲーム」です。


もう香ばしいね。

あ、チキンとか七面鳥焼いてるのかなーって感じ。


* * *


思考の極致は、「あなたはだぁれ?」だと

思うんですね。

自己言及の困難が言語の限界でしたが、

そこに自己と世界との結び目がある。


つまり、「哲学」という試みは、独我論に根を下ろして

そこから始めるしかないんじゃないか。


独我論ってすごい独りよがりじゃないですか。

それはその通りだけど、その指摘は独我論の側面しか

言い当てていない。


独我論のもう一つの側面は、「二十億年の孤独」なんです。


「さみしくて死んじゃう」って事実言明ですよ。

人間って、さみしいとホントに死にます。


これは実際に体験しないと理解できない。

ニーチェの言う「超人」概念なんて普通の人には全然

必要ないです。

「さみしくて死んじゃう」体験で死に切れなかったゾンビに

だけ必要なものです。

だからある意味で、純粋に哲学的な概念だといえます。


独我論なんて立場は誰もぜんぜんとりたくないはずです。

そこまでいってしまったら、それはもう「人間」ではない。

中島敦の『山月記』はそういう話です。


でも僕は、そういうダメな人を(もはや人ではないけど)

ほっとけないッス!


肥大した自意識とねじれたプライドと耐えられない迫真さ

に打ちひしがれたゾンビ…。


そんなクソどもに「失恋ゲーム」を捧げる。


奇跡なんて起きないけどグダグダとクリスマスを生きろアホ!