英語以外の非母語に学ぶ意義があるか(その1 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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□XXXIV|Revolution of Species

http://ameblo.jp/reiner-alice/entry-10314238567.html


まぁ、気長にやってきましょう。


まず、細かいこと。

「語学」という言葉は少し不正確かと思う。

言語学か、あるいは外国語学習かなと思うけど、

どちらかといえばここでは外国語学習が適している。


しかし、外国語学習でもダメ。

非母語学習は必ずしも外国語学習ではないからね。

「非母語学習=外国語学習」という考えには、隠れた前提として

一言語国家を想定している。


でも、一言語国家なんて世界にもほとんどないんじゃない?

浅学にして詳しくは知らないのだけれど、多分ほぼないと思う。

例えば、日本だって一言語国家じゃない。

日本語のほかにアイヌ語や沖縄にも独自の言語があるそうだ。

他にもインドは公用語が十八もあるしね。


あ、ちなみに母語は家で習う言語のことね。

両親が別々の母語をもってる家庭では二言語が融合した、

ピジンが母語となることもある。それはここでは特に考えないけどね。


というわけで、ここでは非母語学習、特に、英語以外の非母語学習

について、考えていくことにしよう。


「英語以外の非母語学習」にはどんな意義があるか。


ハクロはまず、一般的には「意義がない」とされてるんじゃないか、

と考えて、その通念を否定する形で論を始めている。

実際に見てみよう。


「「英語以外の非母語学習」は実行すべきでない。」


推論01

大前提01

支払う費用に対して得られる効果の低いものは

コストパフォーマンスが低い。

小前提01

非母語学習は多大な労力がかかる。

「英語以外の非母語を学ぶこと」は非母語学習である。

「英語以外の非母語を学ぶこと」は多大な労力がかかる。

=「英語以外の非母語学習」は費用が高い。

小前提02

国際的なコミュニケーションをとる為には、

英語で十分であり、「英語以外の非母語学習」は必要ない。

=「英語以外の非母語学習」は効果が低い。

結論01

「英語以外の非母語学習」はコストパフォーマンスが低い。


推論02

大前提02

コストパフォーマンスが低い政策は実行すべきでない。

小前提03

「英語以外の非母語学習」はコストパフォーマンスが低い。

小前提04

「英語以外の非母語学習」は政策である。

結論02

「英語以外の非母語学習」は実行すべきでない。


政策は手段、あるいは方法と置き換えてもいいよ。


さて、二つの推論自体には矛盾がないと思われる。

しかし、僕たちはあんまりこの結論02を受け入れたくない。

推論自体には矛盾が見つからないけれども、結論に否と言いたい

のならば、前提に誤謬が含まれていることを指摘すればよい。


大前提について。

大前提はふたつとも文句のつけようがない気がする。


小前提について。
小前提01はたぶん正しい。

非母語学習はいつだってとても骨が折れるものだ。僕もそう思う。

小前提04もほとんど中身がないし、特に間違いはない。

小前提03はちょっと特殊で、結論01を代入してある。

結論01が真であれば、正しいのだ。


というわけで、小前提02が間違いだということを示していくことにする。


「国際的なコミュニケーションをとる為には、

英語で十分であり、「英語以外の非母語学習」は必要ない。」


母語と非母語とでは、メッセージの伝達について優劣があるか。

これからの論点は、まずひとつにはそれだね。


つづく。