うわーん。無限後退だよぉ。
とりあえず、問題と経過がどうなってるか、
整理してみよう。
もとのハクロのエントリ(21)
「僕が語学をやる理由
世界征服」
そのコメントについてのハクロの反駁(23?)
⇒消滅?
そのエントリについての僕のコメント
「気持ちはよくわかるけど、詩的な感傷では何も変わらない
と思うよ。もっとタフネスが必要なんだ…。」
そのコメントについてのハクロのコメント
「hyoroの最終米の意味がよくわからず
詩的感傷?何のことなり?タフネス?どんな?」
僕のコメントについて、補足
(自己満足的な意味不明のコメントについて)
それを読んでハクロのコメント
「せっかく書いてもらったのだが結局よくわからないぞ・・・!
(記事の内容はわかるが僕の記事との連関性がぼんやりした感じ)」
ハクロの元記事を参照して書きたいと思ったけど、
参照しようにも元記事がないよ←今ここ
まず、僕が言いたいことの大まかな地図を。
主張01:あらゆる権力はその存在の正当性を自らの内にはもてない。
これを前提に、
主張02:普遍的秩序のための法について、その適用は、逐一の個別的
判断に基づいて為されなければならない。
主張03:個別的に適用された法から普遍的秩序に到達させるものは
論理的タフネスであって、詩的感傷ではない。
が導ける。それぞれの詳細はまた別に。
次に、語の定義。
普遍的秩序とは、より多くの個人の幸福増大を、妨げる障壁が
ない、あるいは、それを取り除く努力が有意味であるような、自由な
空間がある程度安定してある世界状況。
微妙かな…。とりあえずこれで、また問題があれば修正。
論理的タフネスと詩的感傷については、次の語との連関の内で
その意味を説明する必要がある。
「説得」=相手を納得させること、また、その手段。
「納得の契機」=事象の理解・了解と、それを引き受け、行為・実現する
こと、すなわちそれを欲求することとの落差。
論理的タフネスの態度においては、彼/彼女は自前で説得を完遂し、
詩的感傷においては、その説得の過程で飛躍がある。
その飛躍の裏に、不当な権力とその抑圧が発生する。
詩的感傷とは、例えば、「世界が平和でありますように」。
これは、一見、否定できないくらい「明らかに」正しい。
こいつは無媒介的に正当性を持つかのような顔をしているが、
これが人々に簡単に受け入れられがちなのは、我々の通念にだいぶ
近いからだ。
が、通念とは、全然頼りにならないし、頼りにしちゃいけないものだ。
「こンの…へっぽこ野郎!」
もしも通念が平日の朝八時過ぎに、報道番組のコメンテーターとして
登場すれば、我らが茶の間の「しあわせのはこ」にはバターコーンのような
へっぽこが二人も並ぶことになろう。
そうなればもう、僕たちはへっぽこ音頭を踊らざるを得まい。
私もへっぽこ、あなたもへっぽこ。
へっぽこ音頭はTOKIOの全都市機能を麻痺させ、その経済的損失は、
東京ドーム約2万杯にあたる。まったく遺憾なことである。
僕が、素朴に言えば、戦争に反対するのは、それが自由を疎外する
からである。この点は僕もハクロも意見が一致している。
戦争根絶は普遍的秩序の確立のための条件であるから、支持する。
(僕は以前も書いたが、ことばを大いに信仰している。
だからその、ことばの力能を拡大せしめんとするのである。
物理的力よりもことばのほうがずっとクールである。)
ただし、そのアプローチについて、だいぶ慎重にならなくちゃいけないよと、
僕は姑のように、あるいは管理人のようにがみがみ言っているのである。
がみがみ。