[補講]「濡れ衣を着る/着せること」考察 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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○ぬれぎぬ 【▼濡れ▽衣】

(1)濡れた衣服。ぬれごろも。
(2)無実の罪をきせられること。
「とんでもない―だ」
(3)根も葉もないうわさ。無実の浮き名。ぬれごろも。
「―をのみきること、今ははらへ捨ててむと/和泉式部集」


――を着・せる
(1)無実の浮き名を立てる。
(2)無実の罪におとしいれる。

――を着る
(1)無実の浮き名を立てられる。
(2)無実の罪におとしいれられる。


□goo辞書、国語辞典より

http://dictionary.goo.ne.jp/



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しぇびに「濡れ衣を着る/着せるって言葉は何かヘンだ」と

怒られたんですけど、僕にはなんだかむつかしくって、

しぇびの濡れ衣論の理路を口頭ではぜんぜん追えなかった

のでした。


とりあえず僕が思った(イメージできた)限りの「濡れ衣」周辺の

ことを整理しておくので、批判やらなんやらはロジカルに

願います。この文章の責任は(guiltではなくresponsibilityの

つもりでありますが)僕が負いますので。


確か、しぇびがたぶん言ってたのは、


・「濡れ衣」という言葉が指しているところの対象A(状況なのか、

関係性なのかは考えないにしても)はまず、「偉いヒト」がいない

ところでは発生しない。


・「濡れ衣」という言葉が歴史的に一番最初に発生したのは、

「濡れ衣を着る」という主体的な行為を指す言葉が先で、

「濡れ衣を着せる」といったように使役の意味が付与されるのは

論理的に後でしかありえない。


のふたつが根幹になってたように思うんですけど、僕は両方ともに

対して違和感を感じたのでそのことを説明しようと思います。



歴史的にどう発生したのかは全く存じませんが、「濡れ衣」という

言葉を適用するにはいくつかの条件がそろった状況が必要です。


状況を示すには登場人物を説明すれば十分です。

登場人物は、まず六人。


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□「濡れ衣」が発生する状況0.0


01:罪を犯した人=加害者=真犯人

02:罰を受ける人=容疑者=濡れ衣を着せられた人

03:被害者

04:加害者と被害者を調停する人=偉い人

05:「濡れ衣」だという言葉を言う人

06:「濡れ衣」だという言葉を聞く人


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「濡れ衣」というとき、罪を犯した人(真犯人)と罰を受ける

人と(容疑者)の不一致が問題となっているようです。

「濡れ衣」という言葉が現れたときにはいつでも、

「誤審」が存在しているということはおさえておきます。



補助線として、普通の罪に対して普通に罰が

あたえられる状況を考えておきます。


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□普通の罪に対して普通に罰があたえられる状況


01:罪を犯した人=加害者=罰を受ける人

02:被害者

03:加害者と被害者を調停する人


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まず、「罪」とそれに対する「罰」、そしてそれを扱う

「調停人」が現れるには、事件が発覚している必要があります。

裁かれるべき事件を誰も知らないとき、そこには「罪」も、もちろん

それに対する「罰」もない、つまり司法が存在しない。


「知らないものは、探さない」。


被害者と加害者がいなければ、事件は僕たちの前に姿を

現しませんし、それを裁くことはできませんね。

「罪の意識」、というとき、それは加害者自身には事件の存在が

明らかになってます。発覚した事件を、内面化された司法によって

自分で裁こうとする、少なくとも扱う。だから、良心の呵責が

生まれます。

加害者が、事件の記憶を意識のレヴェルから、徹底するなら

無意識のレヴェルからも消去するならば、良心の呵責に悩まされる

ことはありえません。だって、自分がした覚えの無いことに対して、

責任を感じることはできませんから。


そして、「罪」とは、法に対する「違犯」です。

倫理に対する違犯とは分けて考えるべき概念です。


今、良心の呵責の説明でさっそく「罪」という言葉を

使っちゃいましたが、それは内面化される司法っぽいものが、

西洋のでは神の視線だったので、神の法に違反する、という

文脈で、(唯一の価値観を社会システムの根幹にすえる、

死によって民を統制する古いタイプの権力の下では特に)、

内面の倫理=神の法と言えたってことです。


倫理に対する違犯に対しては別の語をあてるべきですが、

ちょうどいい言葉を知っている人がいればご教授くださいな。


話しを戻しますと、法というコードに照らし合わせたときに

逸脱してる部分が、「罪」に当たります。

何が罪で、何が罪じゃないかの規定は現在では司法を担当

している各々の「国家」によって行われます。


「法」は別に根源的な正当性を有しているわけではなく、

あくまでちょっとウソだけどとりあえずこういうことにしようという

みんなの決め事です。

日本においては主権は国民にありますから、選挙権を行使すれば

多数決によって「罪」の範囲を変更することも可能です。一応。


普通の罪に対して普通に罰があたえられる状況の03の人、

「加害者と被害者を調停する人」とは司法のことで、司法システム

は今現在は人間が行っていますが、別にそれは特に根拠はなく、

ただなんとなく納得しやすいよね、ってとこです。将来的には機械で

代替することもぜんぜん可能なんじゃないかと思いますけど。



・・・ここまでの議論で、一つ目のしぇびの話しが理解できたような

気がします。


・「濡れ衣」という言葉が指しているところの対象A(状況なのか、

関係性なのかは考えないにしても)はまず、「偉いヒト」がいない

ところでは発生しない。


これは、「濡れ衣」以前の問題だと思いますけど、そもそも、

「罪」は参照される法が、そしてその法を指示する一定数の人々が

存在しないところには、存在しないということなんじゃないでしょうか。

ある種の社会的な枠組み=「偉い人」=「加害者と被害者を調停

する人」ってことで理解しました。


次に、「濡れ衣」の内部にできるだけ切り込みたいと思います。


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□「濡れ衣」が発生する状況0.1

01:罪を犯した人=加害者=真犯人

02:罰を受ける人=受刑者=濡れ衣を着せられた人

03:「濡れ衣」だという言葉を言う人/聞く人=聴衆


(外部装置、前提として、司法制度と被害者=事件の発覚)


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「濡れ衣状況」と、「通常の状況」とでは同じところと、

違うところがあります。被害者の存在、すなわち事件の

存在の発覚と、同時に犯人の存在の確実性は「通常の状況」

と変わりありません。


割れた窓ガラスでもいいんだけど、そこに被害者がいて、事件が

あるのなら、犯人(台風でもいいんだけど)が存在するってのは

僕には自明のように思えます。


だから、事件を決着させる為には、究極的には誰でもいいから

誰かが犯人として罰せられなくちゃいけない。

逆に言うと、誰かが罰せられたら事件は終る。


さらに、司法裁判にビルトインされている特性として、裁判の結果が

社会に対して開かれている、すなわち聴衆がいる、ということを

指摘します。(理路ぐちゃぐちゃでごめん)


だから、濡れ衣が発生したのなら、誤審が発生したのなら、誰かが

強制しなくても、聴衆が勝手に「濡れ衣(の構図)だ」って言ってくれる。

実際的にはほとんどの場合濡れ衣かどうかわからないと思うんだけど、

「濡れ衣」は指摘された初めて言葉としての「濡れ衣」になる、濡れ衣と

呼ばれなかったけど、「それでも僕はやってない」と思ってる人は

実は結構多かったりするかもしれない。


だから、僕たちの目の前に現れてくるものだけが、名前を持つ

「濡れ衣」だってことでどうですか。


…ちょっと、混乱してきたんだけど、多分、しぇびの一つ目の意見が

意思的であれ無意識的であれ、レッドへリングとして機能していると

思うんだ。司法以前の、私刑の段階でも濡れ衣はあるんじゃないか

と思いますが、今はちょっと議論できませんな。



とりあえず、結論を書いておきます。


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□「濡れ衣」が発生する状況0.2

01:罪を犯した人=加害者=真犯人

02:罰を受ける人=受刑者=濡れ衣を着せられた人

(外部装置、前提として、司法制度=裁判と聴衆、そして

被害者の存在=事件の発覚)

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基本的に、「濡れ衣」が発生するには「濡れ衣を着せられた人」

がいりゃあ十分です。


というのは、真犯人が意思的に別の人が犯人であるかのように

装う証拠を用意したとしても、その証拠を元に、直接に

濡れ衣を着せてしまうのは、警察と司法だからです。


「濡れ衣」は状況的に発生してしまう場合がある、ということ。


普遍的に成立する意味の範囲は、

罪を犯した人=加害者=真犯人と、

罰を受ける人=受刑者=濡れ衣を着せられた人が

不一致である、というところまでです。



今度もう一度まとめるかもしれませんが、

とりあえず今はここまでで許してくださいな。