動物化するポストモダンは資本主義の幻影だ
(『動物化するポストモダン(東浩紀)』考察、再び)
▽死ななくなった社会
近代以前と以後で大きく変わったことがある。地球規模の格差は克服されていないが、まず日本について考えると、「めったに死ななくなった」ということである。衣食住は揃う。
死にたくない人間が死ななくて済むようになった。確かに、格差社会と、そこから零れ落ちた人間を救済するセーフティネットが存在しない現状は苦しい現実であるが、それでも、ずっと楽になった。「めったに死ななくなった」というのはとても大きな変化である。近代以前は、人間は一人では本当に生きていけなかった。だから、共同体は必然的に形成されていたし、「個人の自立」を理想に掲げる奴はいなかった。しかし、今やその共同体から抜け、都会に出てきて一人孤独に暮らすことが可能になったのだ。それには社会への資本主義の浸透とグローバリゼーションの進行が不可欠である。なぜならば、ただの労働力を商品として売るほかに無い無産階級の衣食住を支えるための生産物が必要だからだ。あるいは、都会に出て行かざるを得ない若者をつくるのは海外の安い労働力によって生産された、農家が太刀打ちできないほど安価な作物であり、農業の機械化による余剰労働力の産出であるからに他ならない。それはメダルの表と裏である。日本の狭い国土と「ソフトパワー」という経済用語は日本が消費者社会であること、そして日本が労働者の国であることを示している。さらに、日本の消費者社会は、ばば抜きのような、資本主義による低賃金労働力の押し付け合いの回路によって成立した虚構である。
▽政治の限界
都市システムとは何か?グローバリゼーションが齎したもうひとつの変化は多文化主義の浸透である。多文化主義のエッセンスは「正しいものは何も無い。正しさとは代替可能なパースペクティブに過ぎない」というタテマエと、「私の信じる唯一無二の真実」というホンネのアイロニカルな二重構造にある。そのような世界において、民主主義を辛くも政治に導入して何が可能かといえば、恐らくは「死なない社会」の整備しか無いだろう。あらゆるパースペクティブを容認せざるを得ないとすれば、最後に我々を縛るものは「寿命=時間」である。寿命がなければ、ある意味で全ての文化を消費し、全てのパースペクティブに立ち、全ての民族に共感することが出来る。すなわち社会において、唯一無二の<善>とは「生きること」である。他人の生を脅かすものは罰せられるであろう。
▽動物化するポストモダンは資本主義の幻影だ
だが、「死なない社会」の維持促進は先進資本主義国に与えられた特権である。後進資本主義諸国、あるいは発展途上国においては先進資本主義国で大量消費される製品の為の低賃金労働力を創出するため、「死なないために働く」という動機が必要だからである。「動物化するポストモダン」とは「めったに死ななくなった」消費者社会に特有の、文化消費の浅薄化現象のことであるが、この構造は、現状においては世界的貧困層への多大な負担の上に成り立っている。格差社会の位置エネルギーによって自転車操業されているに過ぎない。また、日本において人間が「めったに死なない」のは戦争に軍としては直接に参加していないからであるが、平和憲法のほかに、アメリカの核の傘下に守られていることも大いにその理由にあるかもしれない。いずれにせよ「動物化するポストモダン」が<アメリカ=正義>の暴力によって成立しているのは確かであろう。
▽ポストモダンと二十億光年の孤独
人生をどうヴァリデーションすべきか。人生に如何な意味が付与できるか。
「安らげる場所」を引っ切り無しに取り替えてごまかしているけれども、実際のところ、我々は本当に、孤独である。近代以前は死がとても身近にあり、それを共同体として個人に欠けている部分を補っていこうとするところに大きな物語が生きていた。共感からなる共同体なくしては生きられなかった。マズローの欲求段階説をみると、生理的欲求、安全欲求ときて、愛情欲求、尊重欲求、自己実現の欲求となっているが、人類が普遍的にコモンセンスとして共有できるのはごく限られたものであり、グローバリゼーションが進むに従って多様な価値観の認知も進んだ。繰り返すが、多文化主義は<正しいもの>一般を破壊したのである。そこで日本のように「めったに死なない社会システム」の整備と、(不可分であるが)資本主義精神が闊歩する社会が揃うと、資本主義は次に、都会に住む孤独な若者から快楽を引き出す回路を作り上げる。他人が欲求するものを欲求しなくても生きていける社会では、記号化された快楽や刺激をパッケージした商品が欲求される。いや、商品を認知した後で欲求する身体に作り変えられている。こうして、「動物化するポストモダン」システムが完成する。
▽ぼくたちはどう生きるか
世界に張りめぐらされた資本主義システムを一朝一夕で変革するのは不可能だ。