うーん・・・。まあまあかな。
とりあえず、見にくいので僕の答案を並べます。
一
夫の遺体の収容すら終っていないのに、家族の一員の
俊一までが父の死を忘れたように、生きる希望そのもの
のようなハタハタの大群の到来という喜びにすぐに目を向ける
のは、不謹慎であり母として許せないという気持ち。
二
貧しい生活の内、父と祖父は生きるための漁で命をおとした。
豊かさの象徴でもあるハタハタの到来は、間に合わなかった
今では憎らしくさえ思える。しかし遺体の捜索をはじめ、村の
共同体においては互助が必要不可欠である。母は家族を失った
悲しみから、ハタハタや村人を憎く思ってしまう自分を責めて
感情を押し殺そうとしている。
三
村が、互助によってそのつながりを形成している共同体である
以上、亡くなった村人の遺体の共同捜索は村を維持していく
上で不可欠である。しかし、貧しさに苦しむ村にとって、ハタハタの
大群の到来は、長く待ちわびたチャンスである。
死者を敬う気持ちはあるが、その為に生者が脅かされるのでは
元も子もないと思いながらも村の建前ゆえに感情を表に出せず
抑えている。
四
父と祖父を喪った悲しみに打ちひしがれているだけだったが
放心したような村人達を見て、このまま貧しさが続けば
また父や祖父のように貧しいが故に無理をして命を落とす
者が出てきてしまうかもしれないことに気がついた。
今では、残された家族の中での責任者は自分であり、
自分が「家」としての意思決定をしなければならないという
自覚を持ち始めている。
五
父と祖父が死んだ今では、「家」における意思決定の責任者である
「父」の役割は母が代わりに担うことになる。
将来、家の跡継ぎになる俊一に、その役割を教えるのも「父」の
仕事である。母は家長がしなければならない仕事を俊一に
見せようとしたから同行させた。
六
俊一の父はつらく貧しい生活の中で亡くなっていったのに、
それと入れ替わるようにハタハタの大群がやってきた。
「貧しい村」という共同体の内に生きることがいかに残酷か。
母は、海中にうねる「生」そのもののようなハタハタを見て、
自分が自ら、やはり死者よりも生者を優先することを
選ばなくてはならないことを思って、貧しい人生の不寛容な
薄情さを噛み締めている。
七
母親が遺体収容継続の念押しに来たと考えて、
そうであれば、貧しさから抜け出すためのハタハタ漁を
中止しなければならなくなるから。
八
貧しさの中亡くなっていった父の遺体収容をあきらめて
自分達だけ安易にハタハタ漁によって豊かさを得ることは
許されないだろうし、到底納得できないが、そうせざるを得ない
以上、一語一語区切って話すことで、村の為、家の為だと
飲み込んでいる。
九
貧しい村という共同体において、また同じような犠牲者を
出してしまうことを考えずに、父の遺体収容を優先するような
エゴは、死者への敬意を持っていることにはならない。
かといって、遺体収容をあきらめて、ハタハタによって豊かさを
得るのも人間の尊厳だとは思えない。
どちらも選べない無理な選択肢を、村に属す家の「家長」に
選ばせる「村」という共同体に違和感を感じながらも、やはりそれを
維持しようとする母の行動は理解できなかったが、「村」の内に
当たり前に生活している俊一にとって、「村」という枠組み自体を
疑うという発想は無意識の内に否定されるものだったから。
* * * * *
一、たぶんそのままでおk。
二、「たたかっている」という描写を「押し殺そうとしている」と
したんだけどなあ。採点者によってはバツになるかもですが
僕はいいと思います。
三、「放心したような表情」は感情を抑えた様子ではなさそうです。
「チャンスがふいになっちゃうよぅ・・・うう」というのはあってる。
後半部分を修正する必要があります。
「村の建前ゆえに感情を表に出せず抑えている。」
→
「村の建前から自分ではどうすることもできないので
「困惑して」何も考えられないでいる」
千秋から「困惑して」というフレーズをもらいました。
四、このタイミングで母ちゃんの決心が固まった、というのは
つかんでたかな。後半部分は「家長はいまや母」と要素を
入れた結果。そのままで問題ないと思う。
五、母が「父」を演じるというのを入れたい。
このままでいきます。
六、もっとシンプルでよかったかも。
「生そのもののようなハタハタ」。この発想を入れたのが
僕の解答です。変えません。
七、言い回しがちょっとダメっぽいけど一応、まる。
八、だいたいあってる。そのままで。
九、これは正直仕方ない。問題文の「理解しなかった」を
受けて、もしそうならどういうことかを書いた。僕的にはあれで
いいと思います。
悪くないんじゃないかな?
明日、Educe.usに提出します。
お疲れ様でした。