ハタハタ考察♯04 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで


今日、バター君に会って、要綱をメールで送ると

約束してもらいました!

ありがとうベリーマッチ、バター君。


ハタハタですが、もうしばらく続きます。


さて。


俊一の母は「母ちゃん」というよりも「父ちゃん」

なんだよね。すごく怖いし、かっこいい。


父ちゃんの遺体を収容したいのはもちろんなんだけど

かといって、村人達が生きるためにハタハタをとるのを

責めることはできない。


最近は変わりつつあるけれど昔は「会社は家族」なんて

言ったし、学校にも家族のメタファーが効く。

(それは日本の学校が、アメリカなんかだと完全に

家庭あるいは教会の役割であるところの「道徳」を教える

場所として機能しているからだった。)


会社も家族も村も共同体であることは変わらない。

思い出してほしいけど、人間だって、細胞の集まりだ。


つまり、ここで「村」はイキモノなんです。


生き物に「生きること」よりも「死んだモノ」を優先させる

のは酷だ。

どんなに悲しくたって、生きている限りお腹は減る。

そういうことでしょう。


俊一の母には父ちゃんの魂が乗り移っているように見える。


貧しいというのは残酷なことだ。

父と祖父を奪ったのは貧しさに他ありません。


それが今になってハタハタの大群。

父と祖父は貧しさに殺されたのに、その遺体捜索を

打ち切ってハタハタの漁をすることになる。

しかもそれを「家の責任者」として、母に「主体的」に

選択させる村という共同体。

どこまで薄情なんだと憤りさえ覚えます。


僕はちょっとアフリカの象を思い出します。

仲間が死んだあと、そのすぐ傍で悲しそうな眼をしながら

耳をパタパタさせているのです。


死んだものを供養するのが「人間」という動物ですが

貧しさはそれすら許しません。


生きるためには「明日」に目を向けてハタハタを獲らなくちゃ

ならんのです。そうしないと、また、父や祖父のように

貧しさに殺される者が出てくるかもしれない。


この先の問題はその辺を押さえて解いていくべきです。




じゃあちょっとずつやって行きます。