ぼくらはみんな生きている
生きているから歌うんだ
ぼくらはみんな生きている
生きているから悲しいんだ
手のひらを太陽に透かして見れば
真っ赤に流れるぼくの血潮
みみずだっておけらだってあめんぼだって
みんなみんな生きているんだ
友達なんだ
ぼくらはみんな生きている
生きているから笑うんだ
ぼくらはみんな生きている
生きているから嬉しいんだ
手のひらを太陽に透かして見れば
真っ赤に流れるぼくの血潮
とんぼだってかえるだってみつばちだって
みんなみんな生きているんだ
友達なんだ
ぼくらはみんな生きている
生きているから踊るんだ
ぼくらはみんな生きている
生きているから愛するんだ
手のひらを太陽に透かして見れば
真っ赤に流れるぼくの血潮
すずめだっていなごだってかげろうだって
みんなみんな生きているんだ
友達なんだ
* * * * *
僕は悲しくって仕方が無い。
どうしたっていうんだろう。冗談抜きでさ。
absurdumさんにもらった冊子を眺めていた。
「現代文」夏休み読解教材。
『高校生のための小説案内』 筑摩書房
春の雪 三島由紀夫
野ぶどうを摘む 中沢けい
白い象のような丘 E・ヘミングウェイ
春の雪は持ってる。一度読んだんだ。
ろくに覚えてないけどさ。
野ぶどうを摘むと白い象のような丘を読んだ。
ゴーストが震えるのを感じた。ちょっとだけ。
僕はこの冊子を読む前、
偶然か必然か、クーラーと机の上の電気を消して
窓とカーテンを開けた。
可能ならばここに傍点を打ちたいところだよ。
読み終わって、僕はベッドに身を投げ出した。
じっと額が熱くなっているのを感じた。
そよ風が吹いてレースのカーテンがふわっと
一度だけゆれた。
そして冊子を投げ出して、目を閉じた。
* * * * *
金毘羅参りがあった。
僕達は汗だくになって上っていった。
坂を上って、階段を上って、
木立の間にボロボロの道が続いて
また階段が戻ってきて。
ひぐらしやミンミンゼミの大合唱の中。
道はずーーーっと続くし、
足がパンパンになった。
胸の奥のあたりに何か引っかかっていて、
それがゆらゆらすると僕の頭がぐらぐらして
僕の足がふらふらした。
胃液が膨張して、咽喉がきゅっとしていた。
一番上まで上ったけど、そんな感覚は
消え去りはしない。
ぬるい風が吹いて、でっかい蜂が飛び回っていた
だけだった。
鴨川合宿もあった。
潮風と汗でTシャツがべとついて、
砂浜の、太陽の光の下では白く見えるのに
肌の上では茶色くなってる砂がまとわりついていた。
カメムシがわらわらいるしクーラーは調子悪い。
ビーチサンダルまでかたっぽどっか行っちゃったし。
シャチに生臭い水を頭からたっぷりかけてもらって
イチゴのカキ氷を食べた。
毎度の土気合宿では
徹夜で重い頭をふりながら、バットを振った。
泥だらけのボールを泥だらけのグローブでつかんで
汗まみれで泥だらけのシャツの上に抱えた。
青臭くて、チクチクくすぐったい草むらの中に
ひっくり返った。
* * * * *
僕が目を閉じていたのは実質二十分~三十分と
いった所だった。
やはり額はじっと熱いままで、僕はゆがんだアルミ製の
目覚まし時計を手にとっておでこのところに載せた。
こち、こち、こち、こち、・・・。
少しずつ身体が目減りしていくのを感じながら
しばらくじっとしていた。
それから、目覚まし時計をそっと床に置いて
ベッドに乗っていたマンガ本を蹴っ飛ばした。
立ち上がって窓を閉めて、短パンのポケットの
小銭を机の上に並べた。
僕はとりあえずシャワーを浴びることにした。
* * * * *
僕はね、はっきり言ってアメリカが嫌いだよ。
ロシアが嫌いだし中国が嫌いだ。
今の日本も嫌いなんだ。
政治家達はどんなことを考えて、
毎日議論してるんだろう。わからないんだ。
ちゃんと考えてるんだろうか?
いらいらするんだ。もううんざり。
お手上げですよ~
きっとね、彼らの中からまだマシそうなのを
捕まえてきて二人で二日間くらい議論すれば
わかると思うんだ。
こないだ赤塚不二夫も死んじゃっただろ。
なんだか大切なものがぽろぽろ零れ落ちて
いってる気がするんだ。
恐らく・・・。
僕たちは、「自分」すら失い始めているんだ。
僕は、今、たぶんみんなから「風船おじさん」的な
扱いを受けていると思う。
わかんないけど、たぶん止めてはくれない。
でも別に止めてほしいとは思わない。
あるいは、これすらもアイロニカルな没入なのかも
しれない。
僕はね、やっぱり資本主義は危険だと思うよ。
世界がどんどん灰色になっていく。
僕は人間がヘタレでスケベでネクラでどうしようもない
ことを知っている。いや、ヘタレでスケベでネクラなのは
僕だけかもしれないけどさ。
だけど、それは人間の愛すべきところであり、
憎むべきところなんだ。
僕は人間のエゴを認めざるを得ない。
それがなければゴーストは成立しない。
人間はみんな老いる。みんな死ぬ。
それは今のところ絶対だ。
死んだ後のことは誰にもわからないし、
少なくとも死んだらそれで終わりだ。
だからエゴや死を失った存在を人間とは
呼べない。今のところは。
宗教をテクストとして読解するのはいいと
思うんだけど、盲目的にそれを信じるのも、
信じている人を多文化主義の名の下で認めて
「アイロニカルな没入」をするのも、
ホントはダメなんだと思う。
人間は弱いからエゴのためなら仕方ないかも
しれないけど、ずっとそのままではいけない。
どこかでループを切らなきゃいけないのかもしれない。
僕は、どっちを向けばいいのか、わからないんだ。
僕はネットが好きだ。
前も書いたけど、
すごく楽しいし、すごく速い。
すごく近いし、すごく広い。
すごく多いし、すごく深い。
ちょっと変えたけど。
でもね、僕は記憶に残ってるあの日々の方に
より強いリアリティを感じる。
ネットの情報は「実体」ではない。
「影」に過ぎない存在なんだ。
それが本物でないとは言えないんだけど。
確かに、さわれるものが全てではない。
影にこそ真実が眠っているときだってある。
だから余計ややこしいんだよ・・・。
* * * * *
著作権違反だけでなく犯行声明まで
書いてあるかもね。
大丈夫、僕はどこにも行かないさ。
・・・いや、行けないんだよ。どこにも。