また一年がおわりました | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで


こんにちは、ひょろです。


昨日、シャンバラを征く者を途中から見たら

わけがわからなくなりました。



遅くなってスマソ。返答しまする。


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つづき

ではさっそく。


>「それ」ってなんでしょう?


えっとね、書き方が悪かったかな。


表面的には多文化主義の姿勢をとるんだけど、

本質的にはどの宗教も認めていないよ、ということ。


それをわかりつつもあえてそうするよということ。



>どれですか?②ですか?


yes

②です。武器をとって戦う。





補足


新しい多文化主義というのは一見あらゆる文化、

宗教を認めているようでいてその実全てを否定している。


なぜならば多文化主義は


真理とはひとつでありそれがまだ見つかっていない。

つまり多文化主義を掲げる人自身が内包されている

社会システムなり信じている宗教なりは少なくとも真理ではない



という前提の下に出発していて


この前提は同時に、既存のあらゆる文化、宗教もまた

真理ではないとしているわけです。



僕がもっとずるくなろうといったのは、

アメリカのように悪の枢軸だの正義だのと

二面的にものごとをとらえるのではなく

別に二枚舌でもいいじゃない、誰だって矛盾を抱えているんだから

ってことです。



>唯一あるとする「真理」が見つかったとしたら


これは僕も気になった。


仮に人類の科学技術がこのまま順調に発展を遂げて

誰しもが、働かなくても、欲しいだけモノを手に入れることが

できるようになったらどうなるんだろう。


僕は、前に現国でやった、アキハバラこそがポストモダンだって

やつを思い出しました。


僕もこの時点で残っているのはサブカルチャー(特にオタク文化の方)

だけじゃないかと思います。


というのは、ハイカルチャーとまではいかなくても、

例えばテレビメディアのように一方的にしか情報が送られない、

いうなれば「非大衆文化」は残っていかないんじゃないかということです。



既存の商品はいつでも好きなだけ手に入るのであれば、

消費者の購買欲はわかないでしょう。


そこまで煮詰まってきたら、必要になるのはアイデアです。

既存の商品にない新しい価値を作るしかない。



するとあとは単純計算。


少しでも多くの人が触れるメディアの方がより多くのアイデアが

生まれ、咀嚼されていくことで多様化細分化されていき

ある意味で半永久的に商品を生み出し続けられる。



どうでしょうかね?




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明日から祖父の家に帰省します。

なんかメッセージがあったら携帯にメールしてくれ。



ちなみに今回は携帯からはブログ更新する予定はありません。

4日には帰ってきますからそれまで我慢しなさい。




ではよいお年を!ノシ