清水です。
過日、被災地派遣職員による
活動報告会が開かれました。


今年の報告会では、東日本大震災
被災地へ派遣された職員からの報告に
加え、熊本地震被災地へ派遣された
職員からの報告があり、県・市町の職員
あわせて10名が発表しました。


発表者のひとり
豊開 愛子さん

兵庫県住宅建築局営繕課
働いていますが、昨年度1年間、宮城県
女川
(おながわちょう)
に建築職として
派遣されました。

宮城県内で3番目に高い津波が到達し
死者500名以上、死亡認定者250名
以上の大きな被害を受けた女川町。


今年2月に東北取材に行った際、女川町
の沿岸部でも、大きな造成工事が行われ
ていたのを目にしました。


昨年2月の女川町の浜。堤防は崩れたまま。


「町の技術者の人数が足りないうえに
専門のノウハウも少なく、山のようにある
復興業務は、決してまわっている状態で
はありませんでした」


と、豊開さんは話します。


そうような状況のなか、豊開さんは町が
所有する施設の改修
などに携わりました。


再興に携わった施設のひとつ、野々浜地区集会所。


実際に現地に行ってみると、いろいろ
な課題が見えてきた、と豊開さん。

「こうした集会所のなかには、当初の設計
案に住民の意見が全く反映されていない
ものもあったんです」
と、続けます。

そうした場合に、アドバイスや提言を行う
のも豊開さんの仕事なんだとか。




そして今、女川ですすんでいるのが
新庁舎の建設。


計画予定段階のイメージ


役場教育センター保健・子育て支援施設
とが合わさった庁舎が予定されているそうな
のですが、ふたを開けてみると厳しい状況だ
った
と言います。

「役場を建てるとなると住民のみなさんも
熱い思いがあって、なかなかまとまらず‥
さらに、建築面積や予算もふくらんでしま
っていました」


と豊開さん。



そこで豊開さんたちは、設計の段階から施工
する予定の業者が入り、施工上の課題などを
設計内容に反映させる発注方式をとることで

問題の解決へとむすびつけたそうです。

こちらが、現在の仮設の庁舎。



新庁舎の完成は、2年後の平成30年度
だということです。





私が東北に取材に行った時、女川町
で唯一立ち寄った場所が、JR女川駅
前でした↓

ここJRの駅周辺は、まちのなかで最も
復興がすすんでいる場所なんだそうです。


駅前には、テナント型の商店街
シーパルピア女川という施設が
完成していましたよ。



〈完成前〉



〈完成後〉



駅前の復興が比較的早い理由を豊開さん
に聞くと、「人を呼びこまないと、再生や
復興につながらないから」
ということでした。



報告会で、知事が「東北は今、復旧・復興
の本番。まちづくりも今からが正念場」
と言われていましたが

東北取材の際、未だ多くの人が仮設住宅
で暮らしているのを見たり、「5年という月
日が経って、初めて涙する人がいる」
という
話を聞いたりすると、年月が経つほどに
重くのしかかる課題や、表れる問題がある
のだとひしと感じます。


“兵庫”を背負って復興支援にあたった
職員の話をいろいろ聞かせてもらい
「では今、東北で必要とされている“人を
呼びこむ”
ために、自分にできることは
何なのか」を考えたいと思いました。

兵庫県広報専門員