清水です。

本当に長らくご無沙汰しておりました。
前回のブログ更新の後、私は第一子を出産し育児をスタート。
母乳育児に悩み、子どもの睡眠に悩み、膝腰関節痛に悩み・・
1日が終わると「なんとか終えた~」と日勤の終了に安堵すると同時に「さて、今晩は夜通し寝るかめちゃ起きるか、どっちのパターンかな」と夜勤に備える、そんな日々を過ごしておりました。
なかなか息つく暇も少ないですが、毎日ちがう表情を見せてくれる我が子はやはり最愛の対象です。
一方、県政は「混乱」「混沌」「異常」が続いています。
仕事ですから、職員のみなさんも私も仕事はやり遂げていますが、心中はお察しの通りです。
命や人権を守る行政のただ中で、命と人間の尊厳が失われた。それは絶対にあってはなりません。
すべての過ちに然るべき対応がなされることを望んでいます。
さて、私の仕事についてはというと。
1月17日の追悼式典のプレ行事から仕事復帰。
具体的にお伝えすると、17日の式典でシンボルとなる「追悼の灯り」(=火)を太陽光から採取する現場におりました。
浜風の吹きすさぶなか約2時間かけて、パラボラアンテナを逆にした装置で高校生が採火しました。
無事採火した灯りは式典で献灯しました。
30年という節目にあたり、天皇皇后両陛下のご臨席を賜りました。
「ご遺族のことば」を述べられた武田さん。
「(地震後)外に出たときに見たのは、跡形もないわが家と割れた屋根の下でぼうぜんと娘を抱く主人の姿でした」
「(自身の父が他界し)涙に枯れる間もなく、母は自責の念にかられ、恐怖に震える6歳と10歳の子どもたちをどう育て生きていくかで頭がいっぱいでした」
会場内で司会をしていましたが、涙が止まりませんでした。
大きな節目を迎えましたが、阪神・淡路大震災は過去の一点ではありません。
亡くなられたご人命にご冥福をお祈りすると同時に、震災をいかに次の社会へつないでいくか考え行動していきたいと思います。
復帰後はしばらく行事を中心に働いていました。
「報告書」が出る前だったこともあり、行事は忙しかったです。
いろいろ事後報告となってしまいました。
ブログを久々に書いてみると、「あれ?前はどうやって書いてたっけ?」というほど感覚が戻ってこない戻ってこない。
移動中に「どどどどど」と書いていた以前が懐かしいです。
というわけで、みなさん、こんな状況ですが、清水は生きてます!
兵庫県広報専門員