手のひらの中のアジア -97ページ目

初詣

自宅の近くにある神社へ初詣に行った。。

これまで何年も、近くにありながら、1度も訪れたことのなかった神社だ。
気合いとともに朝早起きをして、早速神社へ向かった。
到着し、参道へ足を進めると既にあふれんばかりの人で埋め尽くされ、長い行列ができていた。

本堂に着くまでに数十分かかったが、ようやく辿りついた。
深く息を吸いこみ、ゆっくりとはいた。
いつになく神聖な気持ちで前に立ち、目を閉じた。
旅の安全と健康を祈るとともに、これから歩む道に光射すことを願った。

今までこんなに素直な気持ちでお参りしたことなんてあっただろうか。ないな。それほど信仰心があついわけでもなかった。逆にこんな時だけ深々と祈るなんて都合のいいやつだと、怒られてしまうかもな・・ましてや近くにいながら初めてここに来たやつなんか・・なんてことを思いながら神社をあとにした。

幸ありますように。。

新たな幕開け

あけましておめでとうございます。ということで。。

新たな年の幕開けとともに、ブログ、始めてみました。

今年は僕にとって大きな転換期となる年。
昨年、会社を辞めた。。
思いきって旅に出ることにしたのだ。
世界中を走りまわる!!それが夢でもあった。

まったくもってありきたりの「普通」の生活をしていた僕はそれなりに毎日を過ごしていたけれど。そんな自分にとって全てを捨てて、旅に出る決意をすることはそれもまた、それなりに一大決心だった。

踏み出してしまった1歩は、もう後戻りできない。

よかったと思えるか、後悔するか、今は正直「先がわからない不安な気持ち」と「先がわからないからわくわくする気持ち」が同居している。
この先の自分がどうなるかわからないけれど、とりあえず「よしっ」と息を一息ついて、新たな年を迎えたのである。。

⑧<そして旅立ちへ>


 

 二〇〇四年一月も終盤、僕は思い切って会社へ退職の旨を告げた。


 友人たちにもそれを伝えた。両親へは手紙を書いた。途中でまた迷いを生じる要因を作らないように、一つ一つ自分で自分を追い込んでいった。


 もう後戻りできない。そうやって追い込んでいくことによって、自分を前に押し進めた。


 それでもふとした時には、これでいいんだろうか・・・・・・そんな思いがまだ頭をよぎった。それは旅立ち直前まで同じだった。でも、正しいとか間違っているとか、そういうことではないのはわかっていた。これからの自分がどうするかが大切なのだ。この選択がよかったと思えるか、間違っていたと後悔するかは、これからの自分にかかっている。


 正直怖い気持ちもあった。不安に押しつぶされそうになることもあった。前向きな気持ちも後ろ向きな気持ちも両方あるのが正直なところだった。でもそれを今の本当の素の自分としていったん受け入れた上で、新しい道を進んでいくしかないのだ。


 引用するならば、これほど適切な言葉は他にないだろう。


 清沢哲夫『無常断章』収録「道」より


 『此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし ふみ出せばその一足が道となる その一足が道である わからなくても歩いて行け 行けばわかるよ』


 世界は広い。


 まだまだ知らないこと、見たことのないものがたくさんあって。


 いつか世界中を旅してみたかった。


 世界中を遊び場にする。


 それが僕の夢だ。



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⑦<揺れる心、原点回帰>



 それから二日後、僕は退院し、しばらくの自宅療養を経て仕事にも復帰した。


 十二月初旬のことだった。


 決意の日から何度も何度も自問自答を繰り返した。非日常的な世界で非日常的なことを考えていた、という程度のものでは何の意味もない、すぐに今までと変わらぬ「やっぱり無理だ」という弱い気持ちに戻ってしまうからだ。


 しかし現実の世界に戻ってくると、やはり障害は内に外にたくさんあった。仕事を辞めること、この土地を離れること、この土地で出会った人たちのこと、家族に対すること、将来のこと・・・・・・。僕はまだ、決意をした「つもり」だったにすぎないのかもしれない。現実として、事実として、迷いはまだあったのだ。自分は自分、そう信念を貫けるほどの自信もなかった。


 まわりの皆は普通に生活をしているのに、なぜ自分だけがこのような道を選ぼうとしているのだろうか。それが不安だった。きっと誰でも夢はあったはずなのに、大人になるにつれてそういうことを忘れたり、しまい込んだりして落ち着いていく。


 僕は間違っているのだろうか。会社を辞めてまで旅に出て、帰ってきたらどうするんだ。試してみたいことは漠然とあるけれどそれも自信がないし・・・・・・。自分は逃げているのだろうか。でも何から逃げているのだろう。自分のやりたいことをやり通すことが怖くて逃げているのだろうか。それとも誰もがいわゆる真っ当な社会人生活を歩んでいるのに、自分だけが違う道に進む、それが逃げているということなのだろうか。そもそも、「いいなぁ」って言う人は自分もそうすればいいのに、なぜそうしないのだろう。そんなとりとめもないことを毎日繰り返し考えていた。


 でもある時、思ったのだ。それは、もうこれ以上考えようがなくなり、いったいどうすればいいのかわからなくなってしまった時にふとひらめいたような答えだった。初心に戻り考えて見れば、その答えは簡単なことだった。


 僕は迷っているのではなかった。答えはずっと前から決まっていた。


 理由や正当な答えが欲しくて、探していただけなのだ。入院していた時、必然性にこだわっていたことも、必要なんてなかったのかもしれない。


 本当に必要なことは、ただ「選ぶ」ということだけ。選択すること、覚悟を決めること。覚悟とは、今あるすべてを捨てること。そう思った瞬間、ふっと楽になった。何かが動き出した気がした。実現するために、じゃぁどうしようか、そう考えるようになった。


 それからの行動は驚くほど早く、迷いもなかった。


 僕は今、結婚もしていないし、家庭も持っていない。守るべきものがあったらきっと動けない。だから今しかない。肉体的理由もある。僕は旅に自転車を持っていきたい。それを漕ぐ体力を考えると年齢的にも今しかない。勢いにまかせただけかもしれないけれど、その勢いが大切だった。


 僕は夢の変遷を思い出していた。


 すべてはあれが始まりだったんだ。



★『そして旅立ちへ』 へ

⑥<決意の瞬間>



 一週間後、八割がた回復した僕は二時間の外出を許可され、久々に外の空気を吸いに病院を出た。一週間も同じ場所に篭っていたせいか、もう一年くらいどこか違う世界に行っていたような気分だ。


 太陽の日差しはきっといつもどおりのはずなのに、とても眩しく感じられた。


 時間がゆっくりと流れているのを感じる。


 少し歩き出し、僕は近くにある本屋に足を運んだ。本屋には、いろんな情報や発見がある。膨大な数の書籍をゆっくりと見てまわり、面白そうな本に出会う瞬間が好きだった。しばらく本屋をゆっくり歩いてまわるということからは遠ざかっていたので、久々の行動にわくわくした。止まっていた時間を取り戻すきっかけを見つけるためにそこを訪れた、そんな感じだった。


 僕はここで、一冊の本を見つけた。


 これもまた必然の出来事なのか、ぷらぷらと書棚を見てまわりながらふと目に飛び込んできたのは、世界一周の旅をした人の本だった。迷わずその本を買い、戻ってわくわくしながら読み始めた。一日で一気に読み切った。読み終えてから、


 「やっぱりやりたいことをやろう。旅に出よう」


 そう思うまでにそれほど長い時間はかからなかった。


 かつて夢見たことを今やろう、今しかない。素直にそう思った。


 今あるすべてを一度捨てる。その時が来た。


 この入院はきっと必然だった。あの老人と出会ったことも、本を見つけたことも。この考えに至るために今があったのだ。勘違いかもしれない、馬鹿げているかもしれない。でも良かったのだ。きっと、納得のいくきっかけが欲しかっただけなのかもしれない。


 決意の瞬間だった。



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