ルナとルーモン~日常の中のイスラム教~ | 手のひらの中のアジア

ルナとルーモン~日常の中のイスラム教~

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ルナ・パルヴィン。


若い頃、日本で10年くらい働いていたというルナは日本語を話すことができる。今は、旦那さんが日本で働いていて、彼女自身の方はダッカで自動車工場などをはじめとしていくつかの会社のオーナーを務める。


彼女にはルーモンという名の息子が1人いた。ルーモンは、まだ8歳ながらルナによる英才教育を受けて育っている。親の血を受け継いでいるのか、頭は学校でもトップクラスなほどずば抜けて良い。数枚見せてもらったテストの点数は、ほとんど100点、そうでなくても95点以上、一番悪くてどうしようもないと言って見せてくれた1枚の答案でさえ80点台は確保しているほど。僕が訪れた時期は学校が冬休みであったものの、ルーモンはルナに送り迎えをされながら週に何度か、英語の個人教室に通っていた。そのおかげもあってか、日本語は話せなくても英語はペラペラだ。


僕が教えたビンゴゲームや○×ゲーム、時々一緒にやるオセロやチェスといった頭を使うものについては、どうやったら自分が勝てるかということを考えて、1回1回こなすごとに上達していくのが目に見えてわかるので、まったくその頭の回転の早さには驚かされる。


教育後進国といわれるバングラデシュにおいては、未だ学校にも通えない同年代の子供たちがたくさんいるであろう中、ルーモンのような恵まれた環境で生活する子供は稀なのかもしれない。ルーモンはいわゆる限られた「エリート」の集団に属する少年の1人だった。


一方で、若干8歳の少年はその年齢相応の姿も見せる。いつも家にいる時には、だいたいがうるさい。お客さんが来ている時でも、大事な話をしている時でも、とにかくぎゃぁぎゃぁと騒ぐ。


「うる゛っっさいよっ!!」


ルナが日本語でルーモンに巻き舌ながらに怒鳴りつけるのは、もはや口癖のようになっていた。


でも悪がきルーモンは止まらない。


「うる゛っさいよぉぉぉ、うる゛っさいよぉぉぉ。。さんきゅーべりーまっちどーもありがとーございましったぁー」


まったく言うことをきく様子もなく、日本語をふざけて真似をしては叫び家中を走りまわる姿には、お母さんのルナも思わずため息をつく。



そんな家庭の中、この家において独特だったのは、イスラム教の聖典コーランを学習するための家庭教師まで雇っていることだった。小さい子供の頃からこのコーランだけは、学校教育よりも重要視され教育が徹底されている。学校に通っていないアキィやサミィでもこのコーランだけはイスラム世界で生きる人間としてここで教育を受ける。こうしてイスラム教、宗教は内在化されていくのだ。


週に数回、夕方の時間になると、ターバンのようなものを頭にまとってりっぱな髭をたくわえた先生がやってきて、お手伝いのアキィやサミィと一緒にルーモンもコーランの勉強をする。


でも8歳の少年ルーモンはこのコーランを学ぶ時間が嫌いで、いつも先生の訪れを告げる家のチャイムが鳴り響くと、すぐに僕のいる部屋へ逃げてくる。


「ルーモン!!早くしなさい!!」


「やだよっ!!つまんないもん!!」


そんな言い合いをしながらも、お母さんのルナに尻を叩かれてようやく準備を始めるといった具合いだ。こうしたところはイスラムであろうが何であろうが、どこの世界にも共通する子供の姿らしくて実にかわいげがあって可笑しくなる。でもそれからは1時間ほど、まるで合唱部の発声練習のように、いつも先生の後に続いて呪文のような言葉を繰り返す3人の声が少し離れた僕の部屋まで聞こえてくるのだった。


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普段一緒に過ごしている時にはあまり感じることもないのだが、こんな光景を見ているとやはりルーモンもれっきとしたイスラム教徒なのだということを実感する。


お母さんのルナもまたそうだった。


街では1日5回、アザーンと呼ばれる礼拝の呼びかけがモスクから街中に轟くほどの大音量で流れてくる。要は「お祈りの時間ですよ」というお知らせだ。


「アッラーは偉大なり」


その一声で始まるアザーンが聞こえてくるたびに、ここはイスラムの国なのだと実感する。


そしてルナもまた、アザーンに合わせてというわけではないけれどやはり1日のうち、ある時間帯ごとにイスラム教のコーランの教えにそって礼拝を実行する。居間で1人きりになり、ジャイナマスと呼ばれる四方1メートル大ほどの小さな絨毯のようなものを床に敷き、その上に膝をついては何か言葉を呟きながら何度も伏せる姿を毎日必ずといっていいほど見る。


この家にくる前にもダッカの街のそこかしこでジャイナマスを手に祈りを始める人というのを何人も見た。何もないホテルの白い壁に向かい合わせになって膝まずきながら熱心に言葉を呟く人、どこかの建物の敷地の塀の前で何度も何度も伏せている人、そこがどんな場所であれ、ジャイナマスを敷いた瞬間そこは神の領域になるようだった。


このジャイナマスというものは、値段の安いものから高いものまで様々な種類があり、信者はそれぞれ自分に合ったものを買って持っていて、イスラムの信仰においてとても重要なものだとルナの親戚のおじさんが教えてくれた。彼ももちろん持っているし、ルナもまた同様だった。


居間でルナの礼拝の時間が始まると、それを見る時は彼女がイスラム教徒であることを実感するときでもあり、この時だけは近寄りがたいほど神聖な空気があたりを包んでいて、僕が彼女に話しかけることなど到底できないのであった。


もう1つ独特なものとして目についたのは、ブルカだった。


一般にイスラム教信者の女性は、外出時、このブルカと呼ばれるヴェールをかぶる。ブルカは、「女性の美しい部分は隠すものだ」というイスラム教の教えからくるもので、頭から足首まで全てを覆い、目もとだけ開いている、あるいは網状になっている独特の衣装だ。


かつてアフガニスタンのタリバン政権はこのブルカの着用を強制し、だがそれは女性が差別的に扱われることの代表的な例の1つでもあった。働くことはおろか簡単に外出することも許されず、家庭内にしか居場所を持てない女性の自由は限りなく「ない」に等しかった時代、そんなイスラムの世界もあったのだ。今でこそそういった風潮はなくなり、女性の社会進出に伴って自由が少しずつ広がりつつはあるものの、イスラム原理主義の影響によって未だブルカを着用する人というのは少なくないと聞く。


バングラデシュにおいてイスラム教が本格的に浸透し始めた時期や成り立ちとも関係があるようだが、今のダッカではブルカを着用する人の方が少ない。女性は比較的自由に街を歩いている。 同じイスラム教といえども国や地域によって、さらに個人の価値観によっても大なり小なり違いがあるということか。


このブルカの着用も、ファッション性を第1の理由にする人もいれば、気候・風土の特性からくる(例えば砂漠に住む人たちが砂嵐を避けるといった)機能性を理由にする人、男性の視線を避けるために着る人、その他の危険から身を守るために着る人など、様々だという。イスラム教が単純にこういうものだと安易に決めつけられないように、ブルカについてもまた同様、一概にこういうものだと規定できるものではないようだった。


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ブルカというものがこれほどまでに気になったのは、ルナのお姉さんたちがそれを着用しているのに対し、ルナ自身はしていないという現実があったからだった。ルナのお姉さんたちは外出する時にはこのブルカをかぶって目もと以外の全身がヴェールで覆われた格好で出かける。仮に街で彼女たちとすれ違ったとしても、向こうから挨拶でもしてくれない限り、僕からはそれが誰であるかも気づくことはないだろう。


家では化粧もせずに顔はすっぴん、スウェットの上下あたりを着こんでソファーでくつろぎ、外出時になると派手な洋服に着替えて、まるで別人のような変身ぶりをみせるメイクを施して、お尻をぷりぷり、街へくり出す日本の女性とは何もかもが反対だった。


ルナのお姉さんたちは外出時よりも、むしろ家にいる時の方が美しい衣装を着こなしている。ルナから聞いたいろいろな話から判断すると、彼女たちは「美しい部分は隠すべき」というイスラムの教えに忠実な信者であり、かつ他の男性からの視線やその他危険から少しでも身を守るという意味合いでブルカを着用しているようだった。


ところがルナ自身はというと、いっさいそんなことはしない。僕がそれについて聞くと彼女はあっけらかんとして言う。


「めんどくさいでしょ(笑)」


「え゛・・・」


「ある程度上の年齢の人や、厳しく教えを守る信者はする人多いよ。いい加減というわけじゃないけど、でも今の人たち、あまりしないよ。ダッカにもそんなにたくさんいないでしょ?私も別にしないよ(笑)」


礼拝の時のイスラム教徒としての厳格な一面とは逆に、「めんどくさい」という理由で着用しないあたりが彼女らしいといえば彼女らしいところでもあった。もちろんいいかげんなイスラム教徒というわけではなく、日本人の僕を相手に話す流れの中での言葉使いにすぎないことはすぐにわかったし、時々ルナが見せるそうしたフランクな部分がまた僕は好きでもあった。


しかし、お姉さんたちとは正反対に、買い物や僕を案内するためにダッカの街を歩くときにはいつもお洒落で目立つ服装をして出かけるので、一緒にいる僕の方が心配になることがある。高級そうなバッグを腕にかけ、どうみても「お金持ち」ということがありありとわかるいでたち、さらに一緒にいるのがこれまた典型的な日本人と一目でわかる僕であるせいか、人々の熱い視線は自然とこちらへ向けられるから困ったものだった。


ひと昔前、イスラム教徒の女性が外出するのは、夫や兄弟など身内の男性が付き添う時に限られていたという話を聞いたことがある。それが関係あるのかといえば、まったく関係ない個人的な理由からかもしれないが、ルナが外へ出るときにはいつも門番をしているアリンや友人のディル、ルナの弟といった誰かしら身内の男たちが一緒に付きそっていた。


でも時々、誰も付かない時がある。そんな時は、つまり付き添いの男は僕1人なわけで。どこかへ連れていってもらったり、案内されているのはこちらなのだけれど、常にどこからかひったくりが狙っているのではないかと心配になり、僕は時々自分がルナの用心棒をしているような気持ちになるのだった。


それにしても、あえてこうして彼女たちの独特な面を取り上げて考えるから「イスラム教」ということについても実感をするのだけれど、実際にはルナやルーモンをはじめとして僕がここにきて出会った人々は、普段一緒にいる中ではなんら変わったところがあるわけではない。


宗教というものを意識して「感じようとして」いたのはむしろ僕の方だけだった。それは僕にとって生活と宗教はそれぞれ別々のものとして認識し、存在するものだと思っていたふしがあるからかもしれない。


しかし彼女たち、イスラムの世界で生きる人にとっては違う。


何よりも強く感じたのは、イスラム教はここで生活する人々にとって1つの「宗教」として存在する以前に、彼女たちの「生活そのもの」だったということ。


何の違和感もなく、当たり前のように、それは人々の日常に溶け込んでいた。


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