ミャンマー計画あれこれ | 手のひらの中のアジア

ミャンマー計画あれこれ

ミャンマ- ヤンゴン


喧騒漂うヤンゴンの街は僕にとって居心地は良かった。

あっという間に1日1日が過ぎて行く。


ビザは4週間、1ヶ月のストップオーバーで期限付きのミャンマー滞在であることも忘れ、「ミャンマーをどう旅するか」そんなことをようやく考え始めた時には既に貴重な4分の1が終わろうとしていた。


「いかんいかん・・」


午前中からバカ暑い陽気の中、屋上に洗濯物を干した僕は部屋に戻り、扇風機をつけて、ドアも開けたまま、ベッドの上に地図を広げた。


比較的、南北に長いミャンマーにあってヤンゴンは南に位置し、インレー、マンダレー、バガンといったメジャーな観光地は北部一帯に集まっている。おおまかに考えると、南北を結ぶ国道は一本ではなく、ヤンゴンを起点にして左右に楕円形のように延びて北まで続く2本の道が描かれていた。


あらためて見るミャンマーは今更ながら広大で、とても一ヶ月で全てをまわれるようなものでないことはすぐにわかった。行きたいところは山ほどあったがここは思いきって数ヶ所に絞り、その間だけを自転車で走ることにした。


まずは中国、タイの国境にも近いシャン州の州都タウンヂーまでバスで18時間、一気に突き進む。そこからは西へ、ざっとインレー湖、カロー、ターズィ、メイッティーラ、北へ進路を変えてマンダレー、そしてフェリーの旅で南西のバガンまで下りてくる。再びヤンゴンまでは一気にバスを使う。


バガンでの最低一週間の滞在予定を始め、ミャンマーではあちらこちらまわるよりも一つ一つの場所をじっくりと見てまわりたかった。というよりもミャンマーという国の時間の流れや空気がそうしたあちらこちらへ急ぎ足でかけ回る慌ただしさを望んでいないように感じた、といった方が適当かもしれない。


しかし、数ヶ所に絞ったこの行程でも僕は確信犯的に一週間のオーバーステイを前提として立てた予定なのだ。


ミャンマーのビザは入国日から4週間、28日だった。12月11日、日曜日がビザ切れの最終期限、それを18日、日曜日までの滞在にするということだ。


利用した航空会社ビーマン・バングラデシュ航空の便は日曜日のみのフライトだった。ミャンマーを見てまわる日数が足りないという自分の判断もあるが、航空会社とのちょっとしたトラブルもあった。


バンコクで12月11日の予定で予約していたはずの便について、ミャンマーに到着後再確認をしたところ、この日が「チャーター便」としての運行のため、一般客は乗れないと言いだしたのだ。


本来なら激怒して大トラブルを巻き起こすようなところだが、僕としてはなんやかんや理由をつけてでもミャンマーに少しでも長くいたいという気持ちがあったので、すんなりとこの変更に応じた結果となった。


日曜日しかないのであれば、1週間早めるか、遅らせるか、であるが早めたのでは到底予定通りまわりきれるはずもない。


オーバーステイについては望ましいことではないが、ヤンゴンで延長手続きを依頼した場合、2週間の延長で36ドルほど料金がかかるという。オーバーステイは1日につき3ドル。


一週間だけの滞在延長ならオーバーステイをして空港で7日分の21ドルを支払って出た方が安く済み、現実的に賢い選択だった。


この確信犯的なオーバーステイが許されるか許されないかの是非は別として、ヤンゴン滞在中に出会った多くの欧米人ツーリストから日本人ツーリストまで意見は誰もが迷いもなく一致の結果だった。


まぁこれで咎められても文句は言えないのは確かなんだけれど。


何はともあれ、これでミャンマー周遊の予定が立った。


まるでミャンマーに今日到着したかのように振りだしに戻り、あらためてここから一ヶ月をかけて僕はミャンマーをじっくりとまわる旅で出る。