JOY
彼女とはラオスのヴィエンチャンで初めて出会った。
僕がタートルアンへ向かって自転車をこいでいた時のこと。
信号待ちをしていた僕の隣に、同じく自転車に乗った彼女が並ぶようにして止まった。
信号が青になると、スピードの早い僕が一歩先に出る形で走り始めた。だいぶ距離は離れていたけれど、次の信号で後ろからやってきた彼女が再び僕の隣に並んだ。
軽く会釈を交わし、それ以外は何事もなく走り始めたまっすぐな道。
タートルアン手前数十メートルの交差点、混雑のため僕はやむを得ずまた停止した。そこへまたしても彼女の乗った自転車が追いつき、隣に並ぶことになった。
三度交差点で、同じように顔を合わせた僕らは思わず苦笑した。
「Are you japanese? I’m korean.」
そう声をかけてきた彼女の呼び名はyoon。
ヴィエンチャンでコリアンゲストハウスに泊まっていた僕は、もしや・・・と思って聞いてみた。すると、やはり彼女も同じゲストハウスの宿泊者だった。たまたま今向かおうとしている方面も同じだった僕らは、たった数時間だったが、共にタートルアンや期間限定で開かれていたタイ・エキシビジョンを訪れた。
夕方のバスで次の場所へと旅立つことになっていた彼女とは特に連絡先を交換するわけでもなく、ただ笑顔でさらりと別れの挨拶を交わし、僕はその出発を見送った。
それから4ヶ月近くが経ったある日。
僕らは偶然にもタイ、カンチャナブリの地で再会した。
顔を合わせた瞬間、二人とも目が点になって固まった。ややあって、お互い誰であるかを思い出した時、ヴィエンチャンの交差点の時と同じように、僕らは思わず苦笑した。
「覚えてる・・・・・・?」
僕は彼女に訊ねた。
「もちろぉん!!ビックリしたぁ」
日本語でそう答えた彼女の言葉の習熟度は、ヴィエンチャンの時には挨拶と片言程度のレベルだったのに、この数ヶ月で驚くほど上達していた。
彼女もまた、僕が滞在することにしたS.N.Pの宿泊客であり、さらには日本語教室を受講していた生徒の一人だったのだ。
あの時はまだ何一つ知らなかった彼女のことについては、同じホームステイの仲間として一緒に過ごすうちに少しずつだがわかるようになってきた。
東南アジアへやってくる前の1年間はトルコに住んでいたこと、これから先はオーストラリアでさらに英語の勉強をしながら旅を続けたいと考えていること、意外とさばさばした性格なこと、とても几帳面なこと、日本が好きなこと、彼氏はいなくて欲しくもないし信じもしないと思っていること、そこに深い過去がありそうな気がしたけれど、僕はあえて訊かなかった。
あとは流暢な英語を話す時には妙に大人っぽく見えること、まだ慣れない日本語を話す時には子供っぽく見えること、時々語尾が「どこどこに行きたいデスダヨ」といった感じでおかしくなること、命令形の用途を覚えたくせにわかっていてわざと「食べろ」「行け」「来い」などと面白がって使うこと。他にもいろいろある。
そんな中、彼女のことで僕が一番に思ったのは、彼女自身が一日一日を生きる上で大切にしているキーワードは、「喜び」という言葉なんじゃないかということ。
ショッピングセンターでカートを押しながら楽しそうに何かを探す時、テラスで椅子に座って物思いにふける時、ご飯を食べる時、町なかで誰かと話す時・・・・・・どんな何気ない時でも彼女のまわりには「喜び」という形でにじみ出る独特の雰囲気が漂っている感じがするのだ。
ホームステイ先のオーナーであるゴンさんと共にネイチャートレッキングに行ったある日、みんなで山道を歩いていると、一番後ろを歩いていた彼女が空へ抜けるように大きな声で言った。
「ゴンさーん!!ワタシぃ!!ココ、ナンカイモ来たケレドぉ!!メンバーがチガウとぉ!!タノシイネー!!」
嬉しそうに笑顔で叫んだ彼女の言葉が印象的だった。
写真を見せてもらった時にも彼女の素顔を見た気がした。トルコでの1年、ミャンマーやラオスなど東南アジアでの旅の日々、これまで出会った人たち。彼女の撮る写真もまた彼女らしさや彼女の持つ世界、いろんな思いが伝わってくる感じがして好きだった。このブログの冒頭に使っている写真も彼女に撮ってもらったものだ。
また、彼女はよく音楽も聴く。日本のアーティストではCHARAやピチカートファイブが好きだと言って時々聴かせてくれる。
ある日、彼女の部屋から一番好きだというYUKIの歌が流れてきた。
曲は「JOY」。
隣の部屋で荷物を整理していた僕はふと動かしていた手をとめ、ベッドに腰かけて耳を傾けた。
彼女はこの歌の日本語の歌詞をわかってはいないはずだ。僕には当然だがそれがわかる。なんとなしに聞き入ってしまったその一曲、一部の歌詞がとても今の彼女の世界やこれから望むもの、彼女そのものを表しているようで不思議な気持ちになったのだ。
いつだって世界は私を楽しくさせて
いつか動かなくなるときまで遊んでね
運命は必然じゃなくて偶然で出来てる
死ぬまでドキドキしたいな
死ぬまでわくわくしたいな
彼女は自分がどうしたら一番嬉しいんだろう、喜べるんだろう、そのために今すべきこと、やりたいこと、そういったものを自分自身でわかっている人のような気がした。そして心には些細なことに対する喜びが溢れている。そんなこと、彼女自身は意識したこともないのかもしれないけれど。
彼女の見据える世界は広い。
僕はそのほんの一部しか知らない。知らない部分ではきっと僕が思ったことが「そうでない」こともあるのかもしれない。
それでも。
僕はyoonのことを思いだす時、実際にそうあってほしいという願いも込めて、笑顔で喜びに満ち溢れた彼女の姿を思い浮かべるだろう。
いつだって。
どこにいたって。
僕らの合言葉は 「JOY」。
※photo by EJ, yoon (korean)