ルアンパバーンの学校を訪れる | 手のひらの中のアジア

ルアンパバーンの学校を訪れる

ぱばんがっこう


ムアンシンでの学校訪問が楽しかったせいか、ここルアンパバーンの学校を見つけた途端に覗いてみたくなった。


街の通りに面した形で建つ校舎はムアンシンのものとは違い、見るからに大きく、都会の学校といった装いだ。


門をくぐると正面の通路で女の子たちがゴム飛びをして遊んでいた。


「サバイディー!!」


僕が声をかけると突然の訪問者に戸惑ったのか、一瞬顔をこわばらせ、それから少ししてはにかんだ。このあたり、都会の子供といった感じなのだろうか。田舎の無邪気な子供たちのようにキャーキャー言いながら走り回ることもない。どこか上品な感じさえ漂う。


教室はどこもがらんとしていて授業は行われていない。一番端の談話室のような部屋で先生たちがお茶をしていたので訊いてみると、もうすでに夏休みに入ったのだという。僕がムアンシンを出てあれこれとしているうちにちょうど月をまたいだこの6月から休みなのだ、と。ラオスの夏休みは6月から8月まで3ヶ月たっぷりあるそうだ。ムアンシンで授業風景を見ておいてよかった、と思いつつ都会のそれも見てみたかったのだが、滞在期間中に叶いそうにない。


と、少し奥の教室からがやがやと声が聞こえてきた。


引かれるようにして行ってみると、そこには7、8人ほどの生徒と女の先生の姿。


夏休みの補習授業だ。


「先生、できましたぁぁああ」


「どれ・・・・・・ほらぁ、また違うでしょ!」


「きゃはははは」


そんな様子でやり取りをしながら楽しそうに勉強している。


もう少し奥へ進んだ校舎の外では、中学生の女の子たちが先生の肩揉みやマッサージをしながら時折笑い声を響かせている。夏休みらしいのどかな風景だ。


別の日、今度は高校を訪れる機会を得た。


たまたま街の食堂で僕が一人食事をとっていた時に、同じテーブルの向かい側に座ってきた一人のラオス人の男の子がきっかけだった。


「何食べてるの?」と僕は彼に訊ねた。


「カオピャック・カオだよ」


「うまい?」


「おいしいよ。食べる?」


そうした会話から始まって、自然と意気投合した僕ら。その流れで彼が、自分の学校を案内したいと言い出したのだ。


彼の名はケータ。本当はケオタなんとか、というようだが、日本人ぽく略した方が呼びやすいので、僕が勝手にケータと呼ぶことにしたのだ。彼は高校一年生。


どのようなカリキュラムになっているのかはわかならいが、彼らは夏休み期間中でも週に何度か午後2時から4時までの2時間は授業があるのだという。


授業が始まるまでの時間、校舎をケータの案内で歩いてまわった。


この学校はとにかく大きい。中学、高校、と同じ敷地内にあり、まさに都会のエリート校といった感じの雰囲気は外からだけでなく、教室の作りや設備を見ても明らかだった。きれいでまだ艶のある机や椅子とチョークの揃った大きな黒板。3階建ての校舎。日本の学校と比べてもなんら遜色ない規模と設備だ。


まだ誰もいない教室で黒板を使い、僕とケータの日本語・ラオス語教室が始まった。


学校の授業では英語の授業が主であるものの、日本語にも興味があるようで、彼にはあいさつや名前の書き方を、僕は自分の名前をラオス語でどう書くのか、などを教えてもらった。


黒板にチョークを使って文字を書くなんて何年ぶりだろう。ひとさし指と親指についた白い粉を見て懐かしく思った。黒板の右端に今日の「日付」と「曜日」を書く。その下に「日直」、女子はおしん、男子は一休。それらの名前は、ただケータが知っているからなのだが。二人の名前をあいあい傘にしておいた。


隣ではケータが、教えてほしいと言うから僕が教えてあげた言葉を一生懸命書いている。


「いすず・・・やまは・・・ほんだ・・・」


きっと今日の授業で見せるのだろう。


「俺、日本語書けるんだぜ!!」


「まじで!?」


「いすず・・やまは・・」


「おお!!すげぇ」


そんな会話かもしれない。


もう少しまともな言葉を、とも思うが男同士なんてこれくらいくだらない言葉の方が盛り上がったりするのだ。

だんだんと授業の時間が近くなり、各教室にぽつぽつと生徒が集まりだした。


僕はケータにお礼を言って、学校をあとにした。


学校は面白い。


僕の友人や知り合いにも現役の先生、以前先生をやっていた人たちがけっこういるのだけれど。


先生って面白そうだな、あらためて僕はそう思った。