ジョーカー | 手のひらの中のアジア

ジョーカー

一日一日がとても早かった。


あっという間に四月も下旬。すでにラオスに入国していたはずの予定が延引して未だ麗江に滞在しているという状況は、ハノイの時と同様にここ雲南省でも同じことだった。麗江は、あともう何日でも留まりたくなってしまうほど、居心地の良い街だった。


いつものように僕は道ちゃんと二人、麗江の新市街まで出て食事をした。腹も満たされ、満足した気分で食堂の椅子に腰かけていた時のことだった。


そろそろ行こうか、と店主に勘定を頼む。細かい札を持ち合わせていなかった僕は、毛沢東の肖像が刻まれている百元札で支払おうと店主に手渡した。それを受け取った店主はすぐさまその札を親指でなぞり、上にかざし透かして見る。


こうした行動はレストランでも売店でも、札、特に百元札の受け渡しが行われる場面では必ずや中国人がする行為である。要は偽札チェックだ。いつものことだと思い、釣銭を渡されるのを道ちゃんと共に待っていた。


しかしどういうわけか、釣銭どころか、渡した百元札はそのまま僕の元へ戻ってきたのだ。


「ダメダメダメ。これ偽札だ」と店主が言った。


「はぁ!?」


僕はあいた口が塞がらない。


偽札が横行しているという話は確かによく聞く。しかしなんでまたよりによって自分が偽札を?

唖然としている僕に店主は笑いながら親切にどこが偽札なのかを説明してくれた。


「毛さんの髪の毛のザラザラがないだろ?それからこうやって透かすと左下の百元マークの印字の色の変化が違うだろ?」


本物の札と偽物の札を交互に触り、実演しながら店主は言う。こちらは一つ一つの返事まで「はぁ、はぁ…」と口をあけたまま、ただうなずくだけ。実際に触ってみると確かに店主の言うとおり、明らかに違いがある。だが、なるほど、と思うもパッと見た感じはどう見ても同じお札でしかない。


「ダメ?」と僕は訊く。


「ダメダメ」と首を横に振り、笑いながら店主は答える。


店主が笑いながら説明までしてくれるところからすると、こうしたことはよくある事で、予想以上に偽札は出回っているのかもしれない。仕方なくこの場は道ちゃんに支払ってもらって店を出た。


しかしなんでこの僕が偽札を掴まされたのだろうか。ババ抜きでジョーカーを引いたようなものだ。だがこれはトランプではない。れっきとした「金」なのだ。百元は約千三百円、馬鹿にできない金額だ。


その日の夕食、今度は別の食堂で本当にこの札が偽物かどうか確かめるため、おそるおそるその百元札を財布から取り出し、差し出してみ…


「ダメよ。これ偽札」


わずか三秒で戻ってきた。


翌日以降の食堂、インターネットカフェ、売店…あらゆるところで出してみるのだがすべて三秒以内に突き返される。やはり中国人の金銭に対する目は恐ろしいほど肥えている。


僕が札を出した後、なぞって透かして突き返す。その間わずか三秒なり。こんなに手強いババ抜きは初めてだ。性懲りもなく一度出したことのある食堂で再びその百元札を出そうとしてみるも、それを見ていた女の子店員がすかさず「ハイハイ、ダメよそれ」と言う。


十三戦十三敗。全敗。オール三秒KO負けだ。


それにしてもなんでこの僕がこんなに気の小さな思いをしなくてはならないのだ。昔から奸知に長けたこの僕がこのままゲームオーバーになる気などさらさらない。


僕はあらゆる手を考えた。


夜暗くなった街の売店で、視力も弱まった老婆相手にババ抜き勝負をする。それならうまくごまかせるかもしれない。または旅行者同士で食事後の精算や両替時にババを引かせる。これは無難で確実だ。しかし同じ立場の旅行者にこれを仕掛けるというのもなんとも気が引ける…。では、銀行での両替時、受け取った数枚の百元札を確認する際に一枚をJOKERとすり替えるのはどうだろうか。「あれ、これ偽札じゃないですか?混ざってました、取り替えてください」といった具合いにだ。時として銀行が渡すお札にさえ偽札がまぎれているという現実があるのだから、そんな曖昧な銀行にはお勉強が必要なのではないか。公安にいったところで「あぁ、偽札だな」で終わるのは目に見えている。ただの紙切れのまま無駄に千三百円も失うわけにはいかないのだ。


そんなあらゆる作戦を考えながら数日。


結局のところ、これらの悪知恵を実行に移すにはいたらなかった。


一週間に渡る「実銭」ババ抜き勝負。


最終的な勝負の結末はどうなったのか。


ジョーカーの行方やいかに。


ただ一つ言えるのは、中国の物は中国へ返還して当然“だった”ということだ。