私の母は後年認知症になりました。私が家族を捨て自分の愛に走って、アルゼンチンにいき、

しかし、結婚ができないまま未婚の母で日本に戻った時に、聡明だった母が「あら、良子。ひさしぶり」と

迎えた時に、衝撃を受けました。良子は母の妹。彼女に多くの苦しみと悲しみを与えて、地球の反対側の

アルゼンチンに行き、更に、今度はオーストラリアに行こうとしていた私。彼女の病は、おそらく私から来たのだろうと

想像しました。

そんな母のことがあり、私は、シドニーで当時のアルツハイマー介護の第一人者ボブ・プライスさんに会った時に、

彼から何か学び、それを日本に伝える方法がないだろうかと考えました。そして、それが、彼の書いた本 Famly Memories

の日本語版をつくろうと思ったきっかけになりました。友人の原和加子さんと出会い、彼女に協力してもらい、更に、

小学館の当時の編集長の島本修二さんと編集部の尾崎靖さんから多大な激励と協力をいただき出版にいたったのです。

 

私は、当時、認知症患者のいる施設を多く訪ねました。音のならないピアノ。音のならないラジオ。

医学書が部屋いっぱいにあった元医師の部屋。彼らは「昔」と繋がりながら生きているのです。

 

こんな話を思い出します。患者の皆が集まる食堂に、ある高齢の女性が行くのを拒否しました。看護師が家族の聞き取りをすると

「母は、いつもファーストクラスでした旅をしなかったし、高級なレストランしかいかなかったのです」。そこで、翌日看護師は「ベティさん(仮の名前)、では今日は、ファーストクラスで食事をしましょう」。ベティさんは、喜んで食堂に行きました。こんな話が、施設にはいっぱいあったのです。

「今」を押し付けるのではなく、「過去」と繋げていく。それが、認知症患者ケアの一つの方法なのだと知りました。

 

この記事は、1996年に夕刊フジに掲載されたものです。