自然の神秘によって奇跡的に得た人生ながら、何人も宿命として死なねばならぬ。
人は死を目前にすると、何物に変えても、少しでも長生きしたいと祈願する。特に、現在が至福であればあるほど生への執着心が強く、大金を捨ててでも命乞いをするでしょう。それから、死後の世界が幸せに成れるならばと、己が信仰する教祖(教団)へ財産を差し出すと云うか、寄付するのでしよう。
主、又は教祖は、信者を集める為に流行病から人を救ったり、死者を甦らせたり、空中遊泳したりしたと超人である事を人々に信じさせるのです。「信」の字は人偏に言です。
何せ、死から生き返った人は居ないのですから、信者には死後の世界を自由に創作して、死の不安から喜びへと変心させることができるのです。何れにしても、人間が自然の神秘力は創れないのです。
余談になりますが…今でも、教団従事者が凡人で無い事を誇示する為か知らぬが、一般人と違う服装をしているのは面白いし、何故か教団の建物が立派なのには驚くばかりである…。
人生には、耐え難き苦悩が起きる事がある。そんな時、宗教に救いを求め安心を得られる場合もあるから信仰を持つ事は大切であろう。
魂と云うか心が、現代の医学をもっても肉体の何処に有るか定かでは無いのですから、自然の神秘としか云えないのです。その心の世界は無限に大きく出来るから、天国・地獄と云った世界をも想像し抱く事になるのです。しかし、心臓が停止しすれば精神の世界も消滅すると考えられます。そこには、天国も地獄も無く、見栄も虚栄心も恥じらいもいりませんし、財産・名誉・地位・家族の心配する事もありません。何故なら、思考力が無いのですから…。
私生活の中で、仕事・進学・家族・人間関係など煩わしい事から、苦しみの無い死の世界へ憧れる事があります。自殺は人間に与えられた最期の自由なのかもしれませんね、他の動物に自殺は無いのですから…。
人は受精した大きさ1ミリの卵子から、1人裸で生まれて来て、死ぬ時も1人で、生前の空の世界に戻るまでの日々の出来事なのです。自然と貴方が一体と成れれば死への不安は消えるのです。
精神的な心の支えと、肉体的に食事をしなくては生きられぬ現実とを切り離して生活する方が、争いの少ない世界になると思います。