この頃の息子は

逃げようのない現実を、しかたなくも

進むために受け入れて生活してたと思う


小学生の頃からクラブに熱心で

殆どの時間を動き回っていたので

私の目の前に長い時間居る事がなかった。


自由ではなくなった息子が一日中目の前にいて

時々笑い、色んな話ができた。


私が産んだ子供だけど

どんな性格なのか、どうしてあげたら良いのか

難しかった…なぜ?

深く考えなくて済む生活だったからだと思う。


抗がん剤がスタートして寛解に向かうまで

1年…長い方だと聞いた。

現れる症状も個人差が大いにある


熱もあまりでる事なく、吐くという事が全くなく

今日はとってもしんどいんだな…と思う日は

目閉じて静かに時間の経つのを待ってる


感情をブチマケル事などない

[こう言われたら、泣き叫んだら抱きしめてやろ〜

などと、頭でシュミレーションしていた]


なんて立派なんだとよく思った。


この時期に一度目を閉じて涙を流した事があった。


子供が作れない

精子が採取できなかった事が非常に悔しかったのだ


私達の場合、後回しになっていた。

この時期には主治医にも何も言われなかったから


万が一の場合は

突然告知され

治療にはいり、命 優先ばかりに気持ちが

行くのは当たり前の事ですが

抗がん剤治療に入る前に、是非

精子.卵子の凍結保存


をお願いしてみて下さい