長らくほったらかしになってますが、
低頻度、コンスタントアップデートである。



いやぁ、サンクス・ギビングですね。

ちなみに、この国では、サンクス・ギビングが終わると、
クリスマスまで一気に「お休み気分」で駆け抜けてしまえ的な雰囲気が色濃くなる。

(お願いだから、最低限の仕事はしてください...)


しかし、毎年のことながら、これからターキーざんまいである。(三昧?)
何度ターキーをいただかねばならないかと...



と言う訳で、今回のテーマは、しょく、触、色、食である。




「食べる」ということは、生きると言うことである。


少なくとも人間が「生命体」といっているものは、みな外部から何らかの形で
エネルギーを摂取することで、肉体の維持をはかる。

これは、どちらかと言うと意思とは別の、もっと原始的なレベルでプログラムされた
行為であると言ってよい。


食したものは、その肉体の血となり骨となり、肉となる。

脳という器官も外部から摂取した食べ物の成れの果てだと思えば、
その込み入ったネットワークのアウトプットとしての思考、意思とかいったものもは、
おそらく、その人間が何を食しているかに多少なりとも依るところだろう。



どうでも良いことを書いたが、要は、何が言いたいかと言えば、
早い話、うまいもんが食いたいということである。



先日、メリケン人と、ある”ジャパニーズ・レストラン”に行ったのである。

このレストランがまた、なんというか、かなりエッジが効いたレストランで、
その列挙されているメニューが実に攻めている。

何しろ、どれ一つとして日本でお目にかかったこのとない食べ物である。
(友人に説明を求められても、できる訳がない)


わたしは、数々のメニューの中で、
「鶏肉のソテー」という安全パイを切ったつもりでいた。
(ただ、内心、何が”ジャパニーズ”なんだろうという疑念もあったのだが)
(そもそもこのレストランが、何を拠り所にジャパニーズの看板をあげているのかも全くの謎である)


出てきたのは確かに、チキン・ソテーである。

そして、チキンには、なにやら赤茶色いソースがかけられ、その中にみかんが浮いている。

あえて好意的に解釈すれば、「オレンジ」じゃなくて「みかん」なあたりが”ジャパニーズ”。
(どうもメニューにはちゃんとマンダリン・オレンジ云々と書いてあったらしい)


なんと形容するべきか、
実にコントラストの効いた彩りに、シャープな甘みと、しょっぱいソース...

あぁ、この溢れ出すような、どうしようもないミスマッチ感をどう文字にすれば良いのか...

あえて例えるなら、チョコレートに塩ふって食べてる感じ。


味覚的には、まったく的確な例えではないが、
何か伝わるものはあるだろう。





かくいう私もこの国にそれなりの長さいる訳で、大分ならされたと思っていても、これである。
まだまだ奥が深いものである。
(これを人は「人間の幅」という。)


メリケンと言う国は、何においても「分かりやすさ」が追求されている。
言語であれ、コミュニケーションであれ、「文化」と呼ばれるものであれ。

私の理解では、それは彼らの「食」もしくは「味覚」についても言えることである。



たとえば、バッファロー・ウィング。
(こういう例えが出てくる当たりが、日頃の食生活がしれます)

これなんか、変なソースかけずに手羽先のフライだけ食ってる方が
数万倍おいしいと思う訳だが、メリケン人とそういうところに食べに行くと、
どのソースが一番うまいかの議論が始まる。
(いやいや、どれ一つとしておいしくないですから。)
(などと発言するのは大人として義に反するのである)


メリケン・スタンダードはやはり、バーベキュー・ソース。(たぶん)
あとは(店にも依るだろうが)酸っぱくて、しょっぱいソースに、辛いソースが添加されたもの。
あとは、その辛いソースの占める比率が違う各種名前の違うソース。


変なソースなんか付けないで食うのが一番うまいと言い張って、
ソースなしのを頼むと、なんかヒヨッてるみたいな雰囲気になる。
(なんかむかつく)


とにかく、である。

味が強いことが、彼らにとっての「美味」の追求の一部(あるいは全て)であると理解できる。
つまり、それぐらい「味」を付けないと、味覚センサーの閾値を超えないのかもしれない。
(ちなみに、ソースかかってない手羽先は「味がしない」らしい)
(アホちゃうか)



その他の彼らの味に対する追求の仕方として、
彼らの「おいしいモノ」を二つ合わせればもっとおいしくなる、と思っている節がある。

たとえば、ミント・チョコレート。
(非常に好みの分かれるところだろう)
(ちなみに、この程度であれば、なれると食べられるようになる)


そのほか、
塩をふられたナッツとチョコレート(M&Msとか)とレーズンがミックスされたスナック・ミックス。
(残念ながら、これは慣れようが無い)
(チョコレトーとレーズンを水洗いしたくなる)



こうして考えて行くと、一つの疑念、
いや、あるいは一つの可能性を想定しないと
メリケン人の味覚を理解することはできないのではないかと思えてくる。


それは、
彼らの味を感知するセンサーが非常に鋭敏にできていて、
2種以上の味(たとえば甘いものとしょっぱいもの)を同時に口にしても、
それらを別々の味として感知・処理でき、それぞれを別個に楽しむ能力を有している可能性、
である。



その可能性を示唆する事例を他にも挙げることができる。


(ちょっと微妙めな)立食パーテーのアパタイザー的なもので、出てくる野菜ステック。
これをピーナッツ・バターで頂きます。
トッピングで、さらにレーズンをまぶして食すと、よりいっそう何かが際立ちます。
これ、メリケンの子供たちに人気。
(まじで)


その他で言えば、辛い飴。
(ぴりっとするとかいうレベルではない。甘みを感知できないぐらいカライ)
(この類いの飴は、各種バラエテーに富んだラインナップが取り揃えられている)
(もちろん、ものに依っては、ネタ的なものもある)


あとは、
生ガキを、ケッチャプもしくはマスタードで頂きます。
(マスタード。生ガキのにおいがだめな方、お試しあれ。注: おいしくなる訳ではないです)
(注2: 大概はライムとかワサビーとかで食べます、念のため)


そして、ターキーである。
ラズベリー・ソース(ジャム)をつけて頂きます。

(日本人の友人曰く、「慣れると食える」らしい)


この時期から年末にかけて、
人の家に招待してもらってターキーを頂いたりすることもあるわけですよ。
(昨日とかね、例えば。)

そのときに、「このラズベリー・ソースは私が作ったのよ」とか言われたら、
断れないですよ、あなた。

目の前で、ターキーが赤紫のソースにひたっていく、この残念感、喪失感。


ちなみに、グレービーは好きです。
(非常に体に悪そうですけどね)

あとメリケンのマッシュド・ポテトも好きです。
(これも体に良くはないだろうね)







...うまい天ぷら食いてっす... 天ぷらそばとか食いてえっす。




先日、パブリック・スクールで「授業」みたいなものをしてきた。

なかば無理矢理ひきうけさせられたものだったのだが、色々と面白いこともあった。


最近、この国の大学やラボは、アウトリーチとかいうのに人と時間と金をかけている。
こういうの流行ってます。
(その関係で、今回の話も、非常に断りにくい空気になったわけである)


実際に何をしたかと言えば、いわゆる「授業」もしくは講義ではなく、
日本で言うところの課外授業(?)的なものとでも言うべきか。

要は、子供たちに、サイエンスというのが「何かすごいもの」である、
という話をすることを目的としている(らしい)。
(実際、そう言って頼まれたしね...)


対象は、日本で言う、小学5年生ぐらい。
(この時点でかなり無理があるのだが...)

そもそも、スクールの先生にすら分かってもらえないようなことを、
子供たちに説明しようというのだから、非常に野心的なプログラムである。


仕方ないので、全面的に視覚に訴える方向で。
大学の先人たちが苦心して揃えたサイエンスおもちゃ的なものやら、なんやらを
掘り返して、スクールに持ち込んで、片っ端から実演してきた。
力任せ、体力任せな男らしいものであったと自負している。


なにしろ、原理は分からなくても、視覚野を直接たたいている。
子供たちは、大喜びである。
それはそれは大変な騒ぎになってしまった。
(何しろ、幾つか動かなくなってしまったおもちゃがあるぐらいだしな)
(こっそり、大学の倉庫の奥の方に戻して{隠して}ある)


しかし、現場に行ってみれば、かなりの数の親が来ていたのには驚いた。
(平日っすよ、これ)
中には、この手のサイエンス好きお父さんが何人もいて、
「放課後」はバーに連れてかれて、ビール片手にブルー・バックス的な質問の嵐。


死ぬほど疲れました...



一方で、アメリカの学校というものには、いろいろと驚かされた。

話には聞いていても、実際に目にすると、なかなか感慨深いものがあります。



まずは、今回のエベントの前に、準備がてら教科書を幾つか見せてもらったのだが、
内容の薄さは驚くべきものである。
(自分の小学校の教科書がどうだったかなんて覚えていないが、
本当に、こんなんで良いのか?と思わせるほどである)


# 余談。
# 後で聞いた話だが、どうも地域によって、ひいては学校ごとにでも、
# 教える内容というのは違っているらしい。
# そして、ヒスパニック系のコミュニテーで育った友人曰く、
# 白人が多く通う学校とそうでない学校とでは、教育水準は大分違うらしい。
# (この国ならば多いにあり得る話である)


その教科書(的)なものであるが、内容の薄さはともかく、
いろんなところに「アメリカはすごい国だ」というメッセージが散りばめられている。
(それは、過去の各種偉人に始まり、大統領、はてはアメリカ軍にいたるまで、実に幅広い)


その他で言えば、スクールの一日は、職員、生徒が国旗を仰いでの国家斉唱から始まる。
(子供たちが国歌の内容を分かっているかは別としても)

その他にも、色々あるんだろうが、
要は、「スクール」というものの機能として、もしくは、そのその存在意義として、
子供たちが、国に対して誇りを持てるような(持たせるような)システムを中心に据えて
構築されたものであることが良く分かる。


これを毎日続けていれば、
子供たちの深いところにそれらは刷り込まれるだろう。
そして、子供たちはごく自然なこととして、この国に誇りを持つことだろう。


こういうことでもしないと、この国は、一つの国家として成立しないほど
多様性に富んでいるという背景も、もちろんあるだろうが、
国家が「教育」というもに対して、ひいては、将来この国を担う子供たちを育てることに対して、
確固たるポリシーを示している結果というべきだろう。


もちろん、そこにある全てが良いことだけではないと思うが、
自分が受けた日本の学校での教育と言うものと比べる、色々と考えるところが多いわけである。


「教育」という言葉を辞書で調べてみると面白いです。
言わんとすることは、早い話、教育とは洗脳である。


子供の頃に刷り込まれたことと言うのは、かなり深いとことに残る。
その分、一旦刷り込まれると、なかなか覆すのが難しい。

刷り込まれたことに筋が通っているかどうかは、あまり関係ない。
そういう意味で、幼稚園、小学校の先生の担っている責任というのは非常に大きい思います。

小学校に限らず、大学でもそうかもしれない。

そういう意味で、自分が潜在的に「教育」する立場にあるというのは、
なかなかに恐ろしいことでもある。





友人に(ほぼ強制的に)つれられて丸一日買い物につきあってきた。
(早くも筋肉痛の兆候が出ている)


なぜ買い物になると、あれだけの集中力とスタミナを発揮するのか?

そして、何故、バッグを幾つも必要とするのか?
さらに、何故、毎年夏になると新しいサンダルをほしがるのか?
(板にひもが数本かぶら下がったようなやつなんか、どうやって履くんだろうか)

などなど、
色々と思うところはあるのだが、
今回はあえてそれには触れずに話を進めてみようと思う。




つくづく、この国は面白い。
いや、つくづく、自分の知見の狭さを痛感させられたと言うべきか。

「常識」と呼ばれるものが、生まれ育った環境にいかに強く依存するかを思い知らされる。


今回のお買い物ツアーの間に、幾つか(いや、ア・ロット)の店を見て回ったのだが、
なかには、アウトレット的な巨大な売り場を有した安売りの店も幾つかある。



その中の一角には、おもちゃ売り場的なものがあったりすることもある。

これは、まじですごい。


日本では、(少なくとも私の経験の範囲では)あまり見たことがない光景を
目にすることができる。


子供たちが楽しそうに、おもちゃのパッケージを開けて、
それらで仲良く、もしくはけんかをしながら遊んでいるのである。

ウキッー、ムキャーって、それはそれは楽しそうである。


当然、それらは購入を目的として(前提として)開封されているわけではない。
普通に、売り物のおもちゃのパッケージを開けて、
その中のおもちゃで遊んでいるのである。


閉店間際ともなると、おもちゃ売り場は、
凄惨を極めた光景が広がっている。

パッケージの残骸や、もともとはそれらに入っていたであろうおもちゃ、
もしくは、元々はおもちゃの形をしていたであろう大破した残骸などなど、
無法の限りが尽くされた強者どもが云々のあとである。
(たぶん言葉の使い方間違ってますけどね)



実は、この類いの光景は、アウトレットのおもちゃ売り場などにとどまらない。



例えばである。
一般に、スーパーに行くと、色とりどりの虹色の飴などが大量に入った筒があり、
それに付いているレバーを引くと、ざらざらと飴たちが出てきて、
重さ売りをするようなシステムがある。
(それがおいしそうかどうかは、この際問題ではない)


そういうところでは、
子供たちがその前にぺたっと座り、飴をザラザラッと手に取って食べていたりする。
当然、食った分の重さのカウントのしようがない。


また、チップスなどがある、お菓子売り場。
子供が勝手に袋をあけて食っている。


はたまた、ジュース売り場に行けば、プシュッと開けて飲んでいる。


私が学生の頃、一時的に安売りの酒屋でバイトしていたことがあるのだが、
それを思い出される。
(いま思えば、比較にすらならないほどかわいらしいものだが)。
(ついでに思い出したが、深夜の薬局のバイトもかなりエキサイテングだったな...)
(それはまた別の話ですけどね)


そこの酒屋には、実に色々な客が来る。



たとえば、手が震えてる人とか...

わりとポピュラーなケースとしては、
夕方になると、現場で仕事を終えたおやじがビール売り場に直行、
プシュッと冷蔵庫の前で開けて、飲みながらレジに到着。
飲みながらバーコードをピッと会計する。
(正直、これもはじめての時は、まじでビビったのだが...)



ま、いいや。
メリケンに話を戻す。


実は、上記のようなのは、際立って珍しいものではないが、
一般化できるほどものではないことは注意しておこう。
念のため。

いわゆる、私の感覚で「普通」の場所では、そういうことはあまり見られない。
非常に強く地域に依る。


それが、どんな地域かというのも、また興味深い点であるが。





しかし、夏っすね...



休みはいつ取るっすかね...。
どこ行くっすかね...。
(休み取れるんだろうか?)


いまさらですが、そろそろ決めないとね。
(果たして、取れるんだろうか??)


いま、メリケンからのヨーロッパ逃避は負けだよなぁ...
(「ユーロ」はち切れてんな。もしくは「ドル」いろんな意味ですげーな)



どこでも良いけど、
ビーチで日がな一日ぼーっとしてたいな...。