青年は、毎日遠くにそびえ立つ塔を見ていた。

空を衝くその姿は、
まるで天空の神々への挑戦のように、虚空を貫いていた。



同じ視界の中にあるのに、
青年が立っている場所は、
生きることに必死で、上を見上げるより、下を向いて、
残飯でも路傍に落ちていないか探す事に夢中な人々の暮らす貧民街だった。

貫頭衣を、荒縄で縛っただけの簡易な身なりの青年は、
今日一日分の糧を、その手に-それは、市場で掠め取った林檎だったのだけれど-
弄びながら、やはり塔を眺めていた。


あの塔には、誰が住んでいるのだろう。

あの塔には、どうやって登ればいいのだろう。


その外壁は、遠目にも艶やかに輝き、
陽を照り返すその姿は、今のみすぼらしい自分と違い、
塔そのものが、神の御使いの様だった。


-最も、彼は天使を観た事はないのだけれど-


彼は生まれた時から、貧しかったし、
その事に疑問を持ったとしても、
具体的に何をすれば、その貧困から抜け出せるのかも判らなかった。

そして、彼をその場所から助けてくれる人間も居なかったし、
彼に指示を与えてくれる人間も居なかった。

でも、彼は廻りにも自分と同じ人間がいることが、当たり前の世界で育ち、
また、廻りがする事を真似る事で、どうにか生きてゆくことができた。


最初に目を開いてから、
欠かすことなく、彼の視界の隅にあった、塔。

あの塔がオブジェなどではなく、
例えば、階段を登っていけば、あの雲に隠れて見えない部分まで、
登っていけるのだと、そう知ったとき。


-それは、所詮噂話でしかなかったのだけれど-

彼の中に、原初の欲求が生まれた。



登って見たいと。


それは、例えば貧困の中で、それでも行きたいと、
地を這う蟲を手づかみにして口に放り込む事や、
草の根をより分けで食む事とは、根本的に違う欲求だった。

青年は、ただ想った。
あの塔に登ろうと。


彼には、その為の旅程を計算して、何を用意すべきか考える頭も、経験もなかった。

もちろん水を汲み取っておく為の水筒すらなかったし、
そもそも皮袋に水を入れて腰にぶら下げるという知識すらなかった。

それでも青年は、歩いた。

林檎だけを片手に、
遥か遠くにある塔に向かって、
自分の意思で。

道半ばで倒れるのか、
塔の前で開かぬ扉に絶望するのか、
幸運にも塔の途中で逝き果てるのか、

そんなことを、想像ゆとりもなく。