ニガヨモギの群生地を目の前に、膝を抱えていたら、


銀色の蜜蜂が語りかけてきた。



「何故、ヒトは生きていけると想う?」


僕の肩口で語りかけるその声は、

ハエみたいにすりあわされた、前脚の間から聴こえてくるみたいだった。



「生まれたから、歩くんでしょう。」



「そんな理由で歩いていけるのなら、

きっとヒトは神の寵愛を、今も受けていられたはずだな。」



「なら、何故生きていられるんです?」



「何も見えないからさ。」


「何も見えない?」



「そうとも、ヒトは、平等じゃない、

顔も身体も、思考の深さも、

才能のある無しも、頭の良し悪しも、


そして、何を想い、何に耐えているのか。


その殆どが目に見えない。

だから生きていけるのだ。」


「顔は見えるじゃないですか?」



「ああ、そうとも、残酷な事実に他ならない。

何も見えないではない、どうでもいいものだけが見えるのだ。


主観で判断できる良し悪しだけが、目の前にぶら下がってる、


だから、いくらでも言い訳できるとも。


顔は美しいけど、頭はからっぽだ、身体が貧相だ、

私のほうがお金を持ってる?


浅ましいではないか、そうやって自分を慰める声が、

我の耳にどれだけ聴こえるか、お前は知るまいて。


どれだけ他者を貶めても、自分の醜い顔をそれでも、一番憎悪し、愛してるのは、

いつも自分だというのにな。


お前は、目の前にある笑顔が、ほんとうの笑顔が見分けがつくのか?」



「なにも見えないし、なにも聴こえませんからね、僕には。

ただ、目の前の笑顔を信じたいですね。」



「あの教会の鐘の音は聴こえるだろう。


誰もが羨む幸福そうな新たな夫婦。

だかしかし、新婦が腹に宿す子は、新郎の子ではない。


もちろんその事実を新郎は知らないし、

およそ、20年の後、その生まれた女子を、新郎は犯し、


新婦の裏切りをその血で贖わせるのだよ。


私が悪いんじゃない、妻が私を裏切ったと、返り血の中で泣きながらな。」



「確かに、よくある話しですね。」



「ヒトは想いが見えずに済んでいるから、誰かと居れる。


能力にどれだけの差があるか、見えないから生きていける。



あの道行く召使の女性が見えるか?


彼女が然るべき教育を受けたとしたら、

世界的な発明をするであろう。


だが、しかし、無能な彼女の主人は、

彼女を虐げ続け、あと数ヵ月後に、彼女の人格は崩壊する。



社会的な潜在価値を数字で示そう。


主人が3に対して、彼女は2982.

だが、その数字は顕れないまま、ごみ屑となって骨に還る。


3000弱は、歴史的な数字だ。



無能な主人は、5人の子を成す。


そうやって、世は劣悪な設計図からできあがった、

粗悪な生で満たされていく。」



「仮にあなたがいう数字というものがホントだとして、

ですけれどもね。


ヒトが何時だって右と左に分かれた道を選択し続けてる事は知っていますが、

過去を憂うのなら、どこの時点を憂うのか、それは判りませんね。」




「色々なものが目に映るようになれば、


きっと世は自殺者で溢れかえる。



どう足掻いても、越えられない能力の差に。


どれだけ献身しようとも、振り返らない想い人の本音に。


恐ろしくて、鏡すら覗けない世界が来る。



見えないからこそ、他人と自分の尺度が絶対的に違うという事を、

忘れられる。

自分が世界に不要な人間だと、意識せず生きていける。


世には甘言が満ちているではないか、

平凡な自分を慰める万の言葉に溢れている。


神はヒトの上にも下にもヒトを作る。当然ではないか、

ゆらぎなくして、変化などないわ。


そんな当然の事実ですら、

ヒトは、目を塞ぎ、耳を閉じる。


自分は周りに劣っていないのだと、下を向いて嘲笑しておるのだ。」




「なら、見せてやればいいじゃないですか。

全ての現実を人の前に、試練として与えたらどうです?


あなたの言うように、不平等な底辺の人間が減って、

理想的な、遺伝的優位性を持つ人類が残りますよ。」



「貴様は何も判らぬ子供だな、


ヒトは、無能であれば、あるほど、他者の脚を引っ張る術に長けておる。


自分の目に映る世界が、自分だけの思い込みだという、

単純なことにさえ、気がつかない程度の知能が溢れている。


無能で、無意味な人間がもっとも輝く瞬間は、

秀でたもの、上にいるもの、

正しく進もうと想う人間を駆逐するときだというのを知らんようだな。」




「あなたがたは、そんな人間を作り出して、

一体何がしたかったのですか?


あなたが言うように、世界中の人間が殺し合いを始めて、

最後に残るのが、最も浅ましい人間であるのなら、


その物こそが、人類のたどり着いた終着点ではないですか。

もっとも先鋭的なヒトの姿ではありませんか。」



「もちろん、手慰みの観賞用生物としてだ。


調和の取れていた大地に、利己的な行動を起こすものが、入り込んだときに、

完璧なものがどこまで蹂躙されるのか、実験せずには居れなかった。」



「なるほど、あなたたちは自分によく似たものを創ったわけですか。


ならば、逆説的には、あなたよりも上位の存在も、在るのかもしれませんね。」



「無論な、私は全能でも全知でもない。」



「では何故、あなたは死なないのですか?


我々一人一人の価値を、客観的に統計し、観察できるあなたは、

何故死なないのですか?


我々の社会的価値と、同じくらい、或いは、低い数字を持つあなたは、


何故生きていられるのですか?



一体あなたの頭上にある社会的名価値という数字と、僕の頭の上に浮かぶ数字に、

どれだけ天文学的な数字の差があるのか、教えてくれませんか?」




「全く同じ数字だ。」



-暗転


-明滅


-浮遊






僕は痛みに目を覚ます。


風にそよぐニガヨモギの野で。



左足の、傷だらけな小指の上に、


蜜蜂が、

普通の色をした蜜蜂が、針をつき立てていた。


腹部をゆすりつつ、蜜蜂は自分の針を折った、

その時、我が身の不幸を呪ったのか、差し込んだ針に満足していたのかは、

僕には判らない。


ただ、昇華して行く体温を小指の先で感じたのは、

恐らく錯覚だろう。


蜜蜂の表情が苦悶で満ちていたのも、

恐らく思い込に違いない。



動悸の音が聴こえる。


明らかな異常心拍が耳の奥から、徐々に自分を取り囲むのが判る。




秋の空は、優しくも冷たくも無かった。



朱に染まる空は、とても美しい色をしていた。



最も、美しいと感じるその心は、限りなく僕独りのモノでしかないけども。