さじです。



そういえば、昨日夢をみました。


あの電波女が、我が家にくる、ずっとずっと前の頃を。





考えてみれば、

家が隆盛だったのは、俺が生まれるずっと前だったんだと思います。


それでも、小学校の頃とかは、やっぱり、

廻りと違う服とか着て、


メイドも執事も、そう執事もいたんですけどね、


そういう生活があったのは、


親の最後の優しさなのか、見栄なのか。



どっちにしてもね、

そんな金があるんだったら、あのダメ親父は自分の老後に廻して欲しかったですけどね。







ま、俺も?


ガキの頃は、

やっぱり、廻りと違う自分を少し自慢に想ってたんでしょうね。


お陰で、ひどい目にばかりあってたんですけど、



「ふん、下賎のモノがっ!」


みなたいなことを言っちゃう子供だったんですよ。


かわいくねー(涙




小学校も高学年の頃。


ま、この頃になると、生活に翳りがでてきましてね。


ええ、多分服装とかも回りとそんなに変わらない感じ。



でも、俺本人は昔のまま。


そりゃ、廻りに反感も買いますよ。




んで、学校裏の川原でぼっこぼこにされるわけです。


「オマエんち、ほんとは貧乏なくせに、カッコつけてんじゃねーよっ!」



独り対多人数の喧嘩は、コワイですねえ。


それでも殴りかかる勇気だか、無謀さだかを持ってた昔の俺は、

ちょっと今よりマシのような、気もしないでもなくもないかもしれません。


まあ、この喧嘩ね、考えてみればやっぱり悪いのは俺かもしれません。



ウチはほら、広かったんでね、

かくれんぼとかすると、面白かったんですよ、

使ってない部屋は、お化け屋敷みたいだったし、


探すとなると、まー1時間かけても2時間かけても見つからない事あったんです。


ある日、またミクリヤんちでかくれんぼしようぜーって、話しになって、


得意気な顔で、

キミ達もすきだねー、なんて髪を撫で付ける仕草をする俺がいるわけで、


で、きっと前から面白くないと想ってた連中は居たんでしょうね。


その日、はなれのトイレにずっと隠れてたんですけど、

どれだけ待っても、誰もこなくてね。


トイレの内窓から見える空が、

青から赤になって、もういちど青になるくらいまで、

独りで震えてたんです。


家の者に聞くと、皆様はとっくにお帰りになりましたって。


お坊ちゃま、皆でお探ししておりました、無事で宜しゅうございましたってね。



ほんとは、泣き出したい気持ちで一杯だったのに、


翌日、同級生に殴りかかったのは俺でした。


「何故、探しにこなかったんだよっ!」って。



その一件以来、仲が良かったクラスメートとも、段々疎遠になってきましてね。



それでも、自分が変わらなかったら、


やっぱり、こうやって川原で何人かに取り囲まれるのも、

無理のない話しですね。





そんな中、同級生の男ドモに、飛び蹴り食らわしてたのが、

すずめだったんですね。


「さじをいじめるなー!」


ってね。


どうして、小学生の頃は、女の子ってあんなに強いんでしょうね?


オスを食べちゃうかまきりと一緒ですかね?


あ、かまきりって毎回交尾の時に、相手を食べるわけじゃないらしいです。


3回に1回くらいが相場らしいです。

いい女(カマキリ)はコワイですね。




そういえば、家が近くて、おままごとか、

子供の遊びをすずめと随分一緒にやりましたけど、


俺は、すずめにする態度も、クラスメートにする態度も、

ちっとも変わらなかったのに、


すずめだけは、いつも俺の味方をしてくれましたね。




傷だらけになった、膝小僧とかをかかえながら、

川原で泣いちゃうわけです俺。


そしたら、

俺のとなりですずめは、


太陽が段々沈んでいくのを見ながら、



「さじはさ、さじじゃんか。


わたしはさじと遊ぶの好きだよ。



みんなと違うなら、同じになればいいし、

イヤなら今のままでいいじゃん。」


って。



まあ、その後に、

また助けてあげるからさ!


なんて不名誉な言葉が続くんですけど。



身体が痛いときには、

きっと心に色んなモンが染みるのかもしれませんね。


俺が変わった最初のきっかけは、

やっぱりすずめだったような気がします。




そして、もう1回自分が変わるのは、


中学生の時。



俺が、小さい頃から”クロサキ””クロサキ”って呼んで懐いてた、

執事が、ウチの屋敷を去ることになったんです。


詳しい事情は判りませんけど、


メイドが一人もいなくなった、屋敷に、それでもクロサキは居てくれましたから、

きっと、やむにやまれぬ事情だったのだと想うんですが。



ある日ね、


「お坊ちゃま、申し訳ありません、私もうお坊ちゃまのお世話をできなくなりました。」



そうやって、自分のおじいさんみたいな歳の老人が、

自分に深々と頭を下げたわけです。


ショックでした。


まあ、その時の俺といえば、

あの川原の時と同じように泣きじゃくりながら、


「なんで僕を置いて言っちゃうんだよ!ダメだよ!」


って、クロサキにしがみつきながら文句を言ってたわけですけど、


ほんとに、俺にとっては彼こそが親みたいなものだったんですね。




翌日になって、

俺はクロサキの部屋をノックするんです。


「クロサキ、さん。俺に行き方を教えてください。」

ってね。



なんとなく、家が傾き掛けてるのは判ってたんです。


両親は皆様ご存知の通りだし。


だから、クロサキがいなくなったあと、

俺は、自分で生きてかなきゃいけないって、想ったんですね。



まあ、その頃からすずめも随分と色々助けてくれました。


だから、俺の玉子焼きの味は、

クロサキの味だし、


お味噌汁の味は、すずめの味なんです。




なんか、昔語りが長くなっちゃいましたね。


これが、俺の昔話です。


そして、すずめは俺と同じ会社に就職したし、



クロサキは、北の故郷に帰りました。


時折手紙が来ます。


生活が落ち着いたら、たずねて行こうと想っています。






そして、財産の計算も終え、


仕事にもこなれだした頃。



募集を掛けた家政婦に、やってきたのが、

あのしっぽなんです。



俺、人生3度目の大泣きしたい気分、


皆様に少しは伝わりますでしょうか?(涙