それは古い木造の校舎に、

学校に残ってるのは僕独りじゃないかなんて、錯覚させる遠い昔の事。


夕陽に浮かび上がる、床や壁の木目は、

なんだかとても艶かしくて、それはいつも見慣れた校舎だった筈なのに、


長い渡り廊下は、

異国の礼拝堂に続く、荘厳な雰囲気さえ醸し出していた。


今でも、あの風景を思い出すことができる。




その世界には音がなかった。

ミシリと床を踏み鳴らす、僕の足音以外には。



とても、しんとした世界。


斜光の中で、かすかに揺らめく埃だけが、

今も時間が流れている事実を僕に告げていた。


何故と問われれば、判らないとしか答えようがない。

その日実際に、校舎には人影がなかったし、

僕が何処に向かっていたのかだった、僕自身にも判らなかった。


ただ、部室で時間を潰し、帰るタイミングを失った僕は、

気がつけば、ここに、”見慣れたはずの”校舎に迷い込んでいたんだ。



美術室の前を通りかかった時に、

視界の端で動くものを捕らえた。


もっとも、後で判ることだけれど、

捕らえられたのは、間違いなく、僕のほうだったわけで。



美術室の一段高くなった、床の上で、


ふうわりと、その子は踊っていた。



日本舞踊でもなく、いわゆるダンスでもなければ、クラッシックバレエでもなかった。


ただその子は、光と風とで戯れているように見えた。



光がリードするから、私は踊れもしないけど、

こう手を差し伸べて、くるりと廻って見せたのだと。


彼女の動きがそう言っていた。


馬鹿馬鹿しいといわれても構わない、

僕の目に、彼女が触れた空気が白い燐光を放っているようだった。


光が微笑んでいるように見えた。




多分、最初に惹かれたのは指先。


ぴんと張り詰めた指の先に、

初めて観る、その子の強い意思を感じた。


動き一つで、人は此処まで想いを身体の隅々まで、

伝える事ができるのかと。


時折跳ね上がる髪は、

僕が知るどんな人の髪よりも、しなやかでそして細かった。



18歳の健康な身体を持つ僕は、

ただその髪をすくい取りたいと願った。


性欲ではない願望を、異性に感じたのはこれが初めてだったと想う。



空気中にたおやかな水面を描くその子の髪が、


一体どんな感触を僕に刻むのか。




実のところ、そんな細かい事を考えるより前に、


もう僕の心は彼女に捕まっていた。


だから、とても長い髪の間に見え隠れする、

キミの切れ長な瞳が、僕の視線と交差した時。


笑うでもなく、恥ずかしがるでもなく、

ただ、まっすぐに此方を見返すキミの瞳を見たときに、


僕の一目惚れは完成していた。



人生でたった一度の一目惚れ。



そこから始まる長い長い僕の物語、


最初の一幕は、こんな出会いから始まったんだ。




その時、僕は知らなかった。


指より尚、髪より尚、

僕が知るほかの誰よりも白く透き通った肌を持つ君が、


僕が知る、ほかのどんな生き物よりも、美しい姿をしている事を。


尖った顎の上に乗る、少し厚めの唇から、

どんな声が零れるのかも。


願えば、人さえ殺せそうな強い光を宿す瞳。

そこから流れた涙が、どんな味なのかも。




そして、僕はやはり、長く知ることがなかった、


とても美しく、儚げに映る君を蝕む、現実的な苦悩を。


キミという人間が、

その小さな身体の中に、どれだけ鮮やかで残酷な炎を燃やしているかを。




僕は18の何も知らない子供でしかなかった。


多分、駆け寄ればキミに触れる事はできたではあろう、

たった10歩程の距離に、どれだけの永遠が詰まっているのか、


その時の僕は、ほんの少しも、判りはしなかったんだ。











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