なんか、前記事に、
面白いコメント、ええ?!そういう意味じゃないです、ってのがあったんで補足。
(補足してたら、長くなっちゃった・・・)
別に俺がいう、
誰かを好きになると選択肢が減るってのは、
例えば、”今日友達と遊ぶ約束してたら、彼氏から連絡あって会いたいって言われた”
とか、そういうレベルの話ではなく。
目の前で、崖から友達と彼氏がぶら下がってたら、どっちを助けるって話なんです。
1日は24時間しかなくて、
自分は自分ひとりしかいなくて、
綺麗ごとじゃない、生きていく中で、
相手を拘束することで、好意を感じる行為なんて馬鹿げてると想う、
まあ、相手が自分だけみてくれるなら、瞬間素敵かもしれないけど、
そんな不自然は長く続かない。
人は360度を見て、進むものだから。
よくも、悪くも。
どうやったって、同じ歩調であるかなきゃ、長い年月は一緒にいれないもの。
もしくは、底の底にある、絶対の価値観の共有か。
見てる方向は、まあ、割と別でもいいし、価値観が同じである必要なんてないけども。
俺にとって、誰かを好きになるのは、
所詮独りよがりではあるけども、自分自身より相手を大事に思えるかどうかってこと。
アオクサっって笑われるのは構わないけど、
人間付き合うだけなら簡単だなって想う。
だって、嫌いな相手でなければ、好意を持たれれば誰だって嬉しいもの。
そうなれば、それがパートナーに、瞬間でもなることなんて、大して難しいことじゃない。
でも、本当の、好きと好きが、
この世の中で出会うことって、奇跡みたいなもんだと想う。
それが、後から生まれるのか、はじめからあるのかは人それぞれだけど。
恋の始まりより、終わりが残酷なのは、人間がそういう生き物だから。
人間の遺伝子って良くできてると想う。
結局、心がパートナーを見つけて満足するんじゃない、
身体が、子孫を作れと命じるから、社会のシステムが子作りを保護するから、
結局、繁殖する。
本当に好きなもの同士の間にだけ、子供が生まれるなら、とっくに人間なんて滅亡してる。
どうもわき道に逸れる、いつもの事。
人を好きになることで、俺が失ったものは、時間と可能性。
でも、その事に後悔したことは一度も無い。
時間と可能性が、経験に変化したから。
10年先も、20年先も、あの人を好きになってよかったと俺は想う。
人は、なりたい自分になる。
それが美しい自分だろうと、醜い自分だろうと、
人は、必ずなりたい自分になる。
誰かと共にありたいという願いは、誰でも抱くけど、
誰もが途中で投げ出したり、慣れてしまう危険な感情。
想いは、想いでしか糾えない。
想いは、想いでしか応えられない。
もちろん、想いを支えるには、現実的な力が必要だけども。
よく、夢をかなえるための努力とかいうけどさあ?
俺は恋愛を成就させることって、それと同じだけの労力が本来必要なものだと想う。
あ、でも、自分が捧げた選択肢の分、幸せになれるってことでは全然ない。
見返りを期待してるなら、痛い目をみるだけだからさ。
何かを期待して、何かを捧げるのは、ほんとうに馬鹿げてる、
人生、自分のためにしか生きられないもの。
自分がした選択肢を他人の所為にするくらいなら、初めから何もしないほうがまだいい。
多分みんな、首をひねってるんだろうなあ。
本当に好きな人が居て、心臓の止まった相手を前に、
神様がすーっと降りてきて、
”あなたの心臓を差し出せば、この人は助かります”
って言われたらさ、捧げちゃわない?
それが、選択肢が減るってこと。
アレも欲しい、コレも欲しい、強欲さはとても大切なことだけど、
全てを掛けてこそ、手に入る”かも”しれないものがあるって話。
まあ、以前俺が書いた、好きな人の2番でも我慢できる? ってブログネタとあわせてお読みください。