仕事帰りの電車の中で、どうしようもない程の怒りに囚われる日がある。
歩きながら耳に栓をし携帯ゲームに興じる若者、
仕事が終わったという免罪符で我がもの顔に、酒臭い息を車内に振りまく人種、
何が面白いのか判らないが、訳のわからない語尾に悦に入り、嬌声を上げるモノたち。
それはいい。理由があることに怒るのならまだいい。
今日は、隣に居る男の顔が嫌いだと想った。
顔つきが、溜まらなく許せなかった。
知りもしないその男の人生を、明確に定義し、腹を立てていた。
このしまりの無い口と、上目使いな目つきは、きっと卑屈な人間に違いない、
それでいて、目には根拠の無い自信が浮かんでいる、
今時の若い娘はと、心では罵りながら、
目先では、中途半端に開いた膝と膝の間に意識を集中し、
”幾らなら”できるんだろうと考えるタイプに違いないと、
そう確信していた。
こういうときは、つくづく自分が嫌になる。
自分は一体何様なのかと、
眉間にシワを寄せ、世界全てを睨みつけるような自分こそが、
社会にとってのシミみたいなものだと想う。
日常の風景は、セックスみたいだと想う。
仮に、日常と僕の間に、意思の疎通があったとしてだけども。
例え、相手が自分のことを好きだったとしても、
自分が相手を好きだったとしても、
ほんのつまらないキッカケ、
そう、例えば、彼女を優しくベッドに押さえつける時、
自分の膝で相手の腿を蹴飛ばしてしまったり、
こちらが、搾り出すように、普段言わないお願いを、
彼女が”聴こえなかったわ”という仕草で返したり、
そんなもので、得られるはずだった、快楽が失われてしまうことがある。
この微妙な駆け引きが嫌なら、
自宅に篭って自慰をすればいいだけのことで、
"実質的には”性交と自慰には、
高校一年生の正常な男子が、頭の中で想像するほどの違いは無い。
その違いよりは、日常とセックスの快楽は似ているに違いない。
そして、当然逆もありうるわけで、
ああ、ここに触れて欲しいと願ったその瞬間、
彼女の手がその場所に、優しく触れられるケースもある。
自分でも知らなかった、自分の身体の仕組みが、
彼女の手で拓かれてしまう事だってある。
生きていて良かったと想うその瞬間は、
日常にとてもよく似ている。
ここまで考える頃には、
ようやく電車は最寄の駅に辿り着く。
早く自宅でクスリを飲みたい。
有態に言えば、僕は頭が痛かった。
長年の友である頭痛。
その痛みから逃れるための、思考的な散策は、今日はこの辺で終わってもよさそうだ。
もっともこの痛みは、またやってくる。
僕はその度に、いまだに自分の知らない、自分の領域に出かけていって、
自慰行為をやり続けなくてはいけない。
多分、きっと一生の間。