お受験経験者だったため、ウチにはファミコンがなかった。

その代わりに、何故かパソコンがあった。


制限されていた反動もあって、ゲームが自由にできるようになってからは、

ひたすらに、メディアを消費しまくった。


恐らく、僕はゲームが好きなのだと想う。



先ず第一に、黎明期のいわゆるパソコンのゲームというのは、

万人向けではなかったし、難易度も敷居もとても高い遊びだった。


この源流を知っている方々は、同意してもらえると想うが、

ゲームというのは、実際初期の頃に出たゲーム群で、既に細分化され、円熟していたのだ。


黎明期のゲーム群に、不文律としてあったのは、

ネットも、攻略本もない時代に、

メーカーからの『このゲームが解けるかな?』という無言の挑戦である。


もちろん、面白さ=難しさ、と勘違いしていたメーカーも数多くあったが、

いまだ知名度の低い、ゲームというジャンルで、受け手を唸らせようと、

数多くの才能が、意匠を凝らしたたくさんのアイディアで、

生まれたばかりのジャンルを支え、盛り上げた。


ワケのわからない物も多かったが、間違いなくゲームの質という最盛期は、

極初期の頃に既に訪れていた。



ここで、歴史的なパラダイムシフトが起こる。


ゲームで誰もが知っているであろう『ドラゴンクエスト』、

別に目新しいゲームでもなんでもなく、当時海外で2大勢力であった、『ウルティマ』というゲームの、

パクリ商品に過ぎなかった。


では、何故、ゲームとしてはまるで面白みもなかったあのゲームが、

経済効果を生むまでに、変遷したのか?


答えは2つある。


一つは、解けないことが当たり前であったゲームというものを、

万人にとけるであろうレベルに落としたこと。


そして、既に知名度の在った鳥山明を、ゲームキャラクターのデザインに起用したことだ。

(今のように、異なる業界とのコラボレーションなぞ皆無であった時代にである)


そして、同時期にパソコンゲームでも、『Ys』という老舗メーカーが、

解かせるために難易度を落としたゲームを発売している。



こうして、ゲームは、一部の人だけがやる、マニアックな壁というものを壊していくことになる。


結果として、ゲームは、これまでのマイノリティな、

判る人がわかればいいという、求心的なメディアではなく、商業主義への第一歩を歩むことになる。


ゲームを面白くしたい、という人種だけではなく、

お金が欲しいとゲームを作る、または”ゲームを利用する”人間が、業界に増えることになる。


歌舞伎や能を、わかるヒトだけがわかればよいという潔さの中で、

文化の継続を望んだのと、全く逆の流れで、ゲームは大衆娯楽になったのである。

そして、間違いないのは、万人が理解できる本物などというものは、この世には存在しないのである。



私は、任天堂が、嫌いである。

家庭に何時でもできるゲームを持ち込んだことの先見性は、類まれであると言えるが、

ゲームが好きな私にとって、任天堂のゲームは、優しく、易しいが、面白くはないからというのが1つ。


かのスーパーマリオブラザーズ。

世界的に有名な宮本氏が、胸を張るこの作品だが、

私にとって見れば、知名度の極端に低かった、アーケード(ゲーセン)ゲームであった、

『PAC-LAND』の完全なるデッドコピーでしかない。


単一の画面で動いていた、PAC-MANがPAC-LANDに『進化』した、発想の爆発に対して、

単一の画面で動いていたマリオブラザーズが、その発想の爆発を模倣した事実は指摘されることがない。


何故なら、商業主義で広がった市場の人々は、トラディショナルな名作など、もちろん知るわけもなく、

(知る必要もない)

インプリンティングされた、マリオはオリジナルであるという思い込みは、

今後の日本のメディア展開の中でも、基本的な人間の振る舞いと言える。

(最初に触れたものが、その当人にとってオリジナルと想いたがるのは当然のことである)


ただ、このパクり、パクられという文化は、単純に悪ではない。

かのエヴァンゲリオンがそうであるように、パクるというのは、ゲーム業界の中でも、

よくある話しであり、それはどこかレスペクトの含まれた行為であったと言える。


その上で、何をしたくてパクるのか。

『PAC-LAND』にあって、『スーパーマリオ』にないものはたくさんある。

が、その逆はたった一つしかない、ボスキャラの存在である。

(ついでに言うのなら、PAC-LANDはとても難しい)


かつては、インベーダーのコピー基盤を販売し、

「遊びにパテント(特許)はない。」

と声高に発言をしていた会社が、

業界のTOPになるなり、様々な規制を打ち出していたのだから、

その奇麗事の裏には、過去の経験に裏打ちされた巧みな利益保護に彩られている。



ここに到り、ゲームはかつてのように、右も左もわからない暗闇の中から、

己の知識と勘だけで、出口を探すものから、


誰もが入場券を買って、楽しく瞬間を過ごすアミューズメントパークのようなものに、

変わっていった。


好き好んで、前者を選ぶ人間だけが味わえる途方もない達成感は、

お手軽に楽しめて、かわいい着ぐるみの中には人間がいるのに(営利主義)、

あたかも、ここは夢の世界ですよ!という図式になっていくのである。


もう、作り手と受け手の間には、絶望的な距離があるのである。

 
 

私が任天堂を嫌いな本当の理由は、

彼らが、一見とてもゲーム業界について憂慮している、みなにゲームを楽しんでくれればいい、

そういう態度を取る裏で、ルールがなかった業界に自社有利な環境を作り、

言葉と裏腹に営利主義に走っていたことである。

(それは当然ではあるが、ゲームを一つの文化としてとらえるのなら、

明らかに背信行為なのである)


ラブホテルの経営をしていた会社が、ゲーム業界に転身したのだから、

それはもちろん当然の振る舞いであるのだけど、

その裏で、どれだけゲーム業界について、マイナスの作用を及ぼしたか、

語られはしないがその効果は著しかった。



何故、任天堂が”カセット”媒体にこだわったのか?

ROMカセットのある部品を、任天堂が独自に作ることを第三者に許さなかった事実。


性能の極端に低い本体を補うために、カセット側に機能追加をすることによる、

ゲームの単価増。


ソフトメーカーに対して、ROMの部品の供給数により、販売本数を支配する体質。


何処までも奇麗事を通す、任天堂のその言葉の裏には、

自分だけ儲かればいいという姿勢が見え隠れする、

そうでなければ、経常利益が2割を越す、異常な体質の説明がつかない。


ファミコン世代の終盤、任天堂の独善的な市場支配について、

多くのメーカー、物流、卸、小売ともに泣かされ、怨嗟の声を上げていた。


もうこの時点で、時流に乗れない弱小メーカーは生き残れない時代になっていた。

アイディアさえあれば、作品を発信できる時代ではなくなっていたのだ。



そんな時代に、SONYが家庭ゲーム業界に名乗りを上げた。

最初、誰も遊びとしか映らなかった行為が、後に業界をひっくり返す。


笑い話にもならないのは、

そもそもSONYはファミコン用のCD-ROMソフト読取装置を開発したいと、

任天堂と利益を共有しようとしていたのだ、

しかし、カセット媒体にこだわる任天堂はその手を払いのけた。


結果、SONYは独自路線として、「PLAYSTATION」を作ることになる。

私は、『PLAYSTATION』が市場に出るというとき、

いち早く、その可能性に期待した。


そして、任天堂が起こした業界の腐敗は、SONYによって、致命的な死病へと発展する。


その事実を、当時の私は知る由もなかった。