これは~むずかし~。


ん~小学生が、好きな女の子を苛めるって話しなら、

そういう感性は俺にない。


好かれたいのに、逆なことしたって仕方ないしねえ?


面白いお題だなあ、これは語りたいかも。

つか、これ書いたあとに『HydeのSM論』書きたいかも。


さて

たもつ様より『好きなヒトを苛めたくなる?』


どっから責めようとか、考える俺は珍しい。

どっから書こう…。



一つ間違いないのは、このblogをはじめて、ありありと判ったのは、

ヒトの心のありようってな、昔よりも人に伝播する確立が高まったということ、

その上で、色んなヒトがいる。


んで、前提として、悪意のある苛めは、今回論じません。

悪意で他人を傷つける人間は、先ず自分を傷つけろって感じ。



Hydeの場合は、これいっちゃおしまいって言われそうだけど。

相手によって、加虐か、被虐かが、いれかわるし、どっちにも振れないこともある。


だから、まず結論もってくると、

ヒトの様々な形の組み合わせが、一致すると、苛める、苛められるが発生する。


んで、大体において、ヒトの形ってのは短期的には、固定的なわけ。

苛めるタイプの側が、逆になる可能性はあっても、Hydeが見てる限りでは、

どっちかよりなわけよ。


ただ、極まれに、これが相手と気分で入れ替わるヒトがいるのね。

Hydeのリアルを知ってるヒトは、みな納得するだろうけど、

俺は、多分激しくどっちにも変化するわけ。


あ、だめだSM論になってるな。


独断だけど、苛める、苛められるってのを、

本当に楽しめるヒトってのは、ほんとにごくごく僅か。


ここを見てくれるヒトの中でだって、確かに、

心のありように、特徴的な人たちが揃ってるなって想うけど、

それでも多分、その楽しみを受け入れるヒトは殆どいないと想って、この文章書いてる。


でも、例えばセックスを楽しめてるヒトが少ないのと同じだけの理由で、

この精神の交合ともいうべき、『苛め』っつのは確かに存在する。


それさあ、

目に見えない針みたいなものを、言葉なり態度なりで、

相手に刺すわけ。


んで、相手にそれを受け入れる『受容体』があるとね、

ない人には、苦痛か害意にしかとれないそれが、『快楽』に代わる瞬間があるわけ。


まあ、その受容体がむしろ、加虐の側に、

こういう針を作ってっていう作用があるときもあるんだけど。


その基準でいけば、俺の中に強弱はともかく、

好きなヒトを苛めたくなるっていうのは、存在する。


結論はもう言っちゃったから、Hydeの過去の実例でも書くと。



俺は、女を殴る男は最低だと想うし、殴られる価値もない女もいるのも事実と想うけど、


先日、俺にかなりフザケたことを抜かした子に、

「目の前でそれをもう一度言ったら、本気で横っ面ひっぱたく。」


と言った事があり。


言われた相手は謝罪の意はあったとしても。


「引っ叩かれたい。」

と、呟いた。


そして、俺は勃起するわけ。


「お前は馬鹿だ。」

とかいいながらね?


判るかな?

これって、女性を殴りたいとか、被虐加虐の表面的な話しじゃなく、

ああ、自分の悦楽がどこにあるのかな、

って自分の内側がはっきりと見える瞬間だったりするわけ。


もちろん、これは例が凄く悪いけど、

例えば、言葉責めが好き!なんて割りと聴くけどね、

それを遊びじゃないでやる人と、恥ずかしがってる顔が好きだわ!

ってのは、同じことに見えて、全然違うことなわけ。


後者は、相手を『苛める』ことに喜びを見出してるわけではなく、

それこそさあ、コスプレしたらマンネリだったセックスが燃えた!とかそういう話しね?


例えば、本気でコスプレするヒトは、相手がその架空の誰かになりきるわけよ。


前者は、インポテンツと一緒。

ある角度、ある刺激でしか、陰茎が勃起しない男性の性癖なわけ。



ま、むしろ、俺は今回の記事、

わからね~って言ってるヒトの方が、遥かに健全だと想う。


自分が異常だと想ってるわけじゃないけど。


自分の中には、空けても空けても、きりのない扉がいくつもある。

それは誰にでもあるものだけど、


扉は一度くぐってしまったら、後ろには戻れないのよ。

かといって、扉はいつでも開け閉めが自由にできるわけじゃない。



今回のお題のこたえ。

Hydeは女性(パートナー)を苛めて、悦ぶことが『ある』人間です。


時々、背筋にぞくりと実際の触感よりも激しく、相手を苛めたいと想う人間です。