ま~た、雨が降ってきました。
傘をさしながら、道にある下水溝を見てると、
流れ込んでいく水の経路を想像することと、
この世の中で、ヒトの気持ちを考えることって似てるのかな。
なんて想ったりします。
もちろん、僕は下水がどうやって海に注いだり、循環したりするかなんて知るわけも無く。
僕でない誰かに、
『ねえ?君は僕の事が好きかな?』
なんて聞いたとして、
『ええ、好きだと想うわ』
という答えが、本当なのか嘘なのか、
はたまたどんな気持ちの経路をたどって、その答えが出たのかなんて判りはしないわけで。
丁度傘から垂れた雫が、頬を打ち、唇を濡らしたとして、
それを舐め取ったところで、水の成分なんて判らないし、
そこに致死性の毒が含まれるかどうかなんてのは、
死ぬことでしか判らないわけで。
だから、僕の中で、
目の前を通り過ぎるヒトが、何を考えどんなヒトかを考えることと、
空を擬人化して、今年の空はなんかきっと悲しいことがあったに違いない。
なんて考えることは、同じレヴェルの話しなんだと想う。
なぁんの基準もないこの世の中で、
もしかしたら、全部が嘘かもしれない世界の中で、
目の前で誰かが捨てた吸殻が排水溝に飲まれていく。
きっと、巻紙がほどけ、中の葉っぱはいずれ解けて、
少しだけ廻りの水を茶色に変色させながら、一体いつまでそれは、
『吸殻』として認識されるものでいるのだろう。
世界中の人たちに、どこまでこの物体は『吸殻』でいられるのか、
聞いてみたら、きっとどんな哲学書よりも、面白い、
味気ない答えが返ってくるに違いないなあとか。
世界は、何時だって幾何学模様に溢れてる。
微かなサインに溢れている。
もし、僕にその意味が正しく理解できたのなら、
もう少しだけ、この手のひらからこぼれる”もの”を減らすことができたのかも知れない。
でも、やっぱり僕には排水溝に流れて行った水の行方も、
通り過ぎていく人々の気持ちさえ、判りはしないわけである。
同じように、今日一日、日本に振った雨粒の数だって知りはしないわけなのです。
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採点対象2弾
ん~自分で点つけるのって難しいですねえ…。
特に今週は、なにやらワケわからん、人に解説するべき文章すら書いてないので…。
まあ、俺は、時々こんなことを考えて雨を見上げてるンですねえ。
雨を見上げるんじゃなくて、見下ろしたらどんな絵になるんだろ~なんて、
屋上に登ってみるんですけど、結局自分を宙に浮かべでもしない限り、見えないんですね。
仕事の途中で、なら雨の中で煙草に火がつくのか、
そんなことを意味もなく試したりする人生なわけであります。
今日の雨は、どんな味がするんでしょうか。