或る夏の日、あなたは自転車に乗っていたとする。


或る夏の日、あなたは気持ちのいい日差しだと空を仰いで運転していたとする。



信号機の手前で、ふと視線をしたに落としたとき、

車輪の目の前に、蝉の死骸が仰向けになって"落ちて”いたとする。


あなたはあわててハンドルを切って死骸を避けようとした。


でも、すでに時遅く、

丁度死骸の上でタイヤがこじれたとする。


仮に蝉に意識があったとして、

或いは霊魂があったとして、

その行為についてどう想うだろうか。



人生の中で、頭がいいとか、感性が優れているというのは、

アンテナのようなものかもしれない。


本人がそれをどう意識しようと、または隠そうとしても、

結果として受信してしまうことというものは、どうしようもないことなのかもしれない。


それに逆らって生きることも可能ではある。


でも、欺いてる事実はいつだって当人だけは免れることができない。



或る夏の日、

歩道に2匹目の蝉の死骸が落ちていた。

今度はなんなく避ける。


人生において、もっとも大切なことは経験かもしれない。


そして、経験は同時に、

空が気持ちいい日であった、という感覚を喪わせる代わりに、

道路を注意深く見るクセを残した。