紫陽花の色合いがとても好き。
花と花の重なりが、時として神のバランスをかもし出す時、
色合いがそれに重なるとき、
この花が好きだなと想います。
そして、毎日の通り道にある紫陽花。
まだ、蕾だった日。
しばらく硬く閉じていたのに、
或る日突然膨らみだしたときは、不思議に想うの。
やっぱり、見えないところで芽吹きの順番を知らせる鐘でもなるのかしら。
順番に、隣の株も翌日には花咲いていたもの。
青、紫、白そのコントラストが、
巡る日ごとに風合いを変えて、楽しませてくれる。
でも、水をもらえなかった日、
日差しの強すぎる日、
日常が過ぎていく中で、
徐々に色あせて、瑞々しさをなくしていく花を見るのは、
とても冷静な目なの。
もう紫陽花も終わり。
残酷なほどはっきりした事実。
そのことは、沢山のことを、私に教えてくれる。
枯れ逝く花を、ただ見据える自分。
一体、自分は何時咲き、そして枯れるのか。
私という花に、
水を与えてくれる人も、日もある。
自らに、水を与えられる日もある。
そして、私は、どんな風に他人に映るのだろう。
私の手にある花もあるのかしら?
何時か、花咲きますように。
心の中と外に。
私だけの花を。
そんなことを考える通勤路ですの。
今日も一日頑張らないとね。