ブログネタ:この夏旅行に行くならどこ?
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2008年の夏。
その歳の僕は、生まれて初めて独り旅をしたんだ。
誰の中にも、行ってみたい場所ってあるのだと想う。
幸いにして僕は、その殆どに行けた人生だった。
考えてみれば、旅行を自分で行きたいと企画したことなんてない。
何時だって、父親の随伴で、そのときの彼女の希望で、
そういった人の想いに引きづれられて旅に出かけた気がする。
だから、ありていに言えば、
僕はきっと旅行が嫌いだったんだと想う。
別に電車に乗らなくたって、
妄想すれば何処へだって行けた。
目をつぶれば、ありえない幻想に身を浸せた。
或いはね、ヒトは結局自分の想像の範囲でしか、
楽しみなんて見出せないのかもしれない。
だとすれば、望むと望むまいと、
誰かに連れられて行った旅先では、新たな想像と、
未知の触感が僕に更なる経験と、想像のソースをくれた気がする。
例えば、香港で、
ありえないほどの湿気の中で、ぬるい水の中を掻き分けるような感覚を知り。
例えば、オーストラリアで、
日本とは、時間の流れが違うこと、まるまると太った人々が食べるものが、
自分の知ってる生活というものが、限られたものであることを知ったし。
例えば、小学生の頃ハワイに行けば、
稚拙だった性への認識を一気に広げてくれた、
いかな書物で見るよりも、目の前で揺れる女性の乳房は、何よりも確実に
僕の心を揺さぶったもの。
エジプトでは、民族の違いというものが、絶望的な差であることを知った。
ヒトが喧嘩をするのは、まだ判り合えるから。
絶望的な人種の違いこそが戦争の火種なんじゃないかななんて想った。
イタリアでは、生活に溶け込む、自文化への誇りを学んだ。
自分の立つこの地を愛するという行為に、ヒトとしてのあり方を見た気がした。
国内では、
北海道の雪原に寝転んだときに、
都会では絶対に判らなかった、見上げた空に遮蔽物が何もなくて、
まん丸な視界にただ魅入った。
ただ、穏やかな風景と自分との一体感に、柔らかい神の存在を確信した。
沖縄では、嵐が暴れていた。
風の収まった日に、近場を歩いたときの墓地の空気、
晴れ渡ったときに見える原色の世界。
猛る波の向こうと、張り詰めた空気に、荒ぶる神の存在を確信した。
だから、何時だって、終わってみれば、
旅行は僕に何かを遺してくれた。
もちろん旅先でした、相方との喧嘩だって、
その後に関係が続いていくのなら、悪いものじゃない。
でも、この旅行だけは赴きが違ったんだ。
その昔、大好きだった女性が居たんだ。
それはもう少しで幸せになれたかもしれない関係。
貴女の身体を手に入れることはできた。
心に触れることはできた。
でも、貴女との未来は望めなかった。
何処へも行けなかった僕のあの部屋で、
君が僕の腕の中でつぶやいた言葉。
「私ね、死に場所は決めてるの、
屋久島でヤシガニに身をついばまれて死ぬの。」
それは期せずして、僕が死ぬまでに絶対訪れようと、自分に誓った土地。
いつしか、
その恋は終わるべくして終わった。
春が終わり、夏になるように。
それは、約束された日だった。
その別離が、自分の中で色彩を失いかけた或る日。
とても全てのことに満足してる自分に気がついた。
食べたいと想うものも食べた、
自分の今の感性に自信もあったし、金にも困らず、
感性を理解してくれる人さえいた。
遣り残したこともない恋、できることを全てした恋。
それは僕の人生を掛けるに値する恋だった。
それはともて欺瞞に近い感覚であったけども。
でも、それは多分僕の人生の中で、
一番の満足感に包まれた日だった。
その日のうちに、退職届を書き、
あっけに取られる上司の元から躊躇いなく歩み去り、
そして、携帯の契約とクレジットカードの解約だけを済ませて、
その足で、旅行代理店に行った。
屋久島までのチケットを買いに。
翌日の飛行機が空いていた。
僕が感傷に浸ってる間に、
飛行機は勝手に空を進んで行ったし。
鹿児島を経由して、更に屋久島まで行く間、
取り立てて何も起きはしなかった。
文字通り手ぶらの旅でしかなかった。
旅程の間、本を読むまでもなく、僕にはめくるべき思い出が沢山あったし、
映画をみなくとも、まぶたの裏に沢山の情景が浮かんできた。
恋が終わったから、幕を閉じようと想ったわけじゃない。
寂しいから、幕を閉じようと想ったわけじゃない。
不幸なこれからの人生に、絶望したわけじゃない。
ただ、今日が人生で一番満足な日だと想ったから。
初めて舞い降りた屋久島の地は、
そうね、幻想的な情景ではあったけど、
でも、そこは現実だった。
恐ろしいほどの湿気と暑さ、
そして常にまとわり尽く蟲の羽音。
少しだけ、安心が襲ってきた。
”そう、ここは現実なんだ”
あこがれ続けた地は、現実に存在し、
想像していた通りの場所ではもちろんないこと。
1件しかない、ホテルに泊まり、最後の夕食を済ませて、
最後から一つ前の眠りに就く。
夢はね、見なかった。
翌朝、まだ日が昇らない時間から、
独り森の中に分け入った。
ガイドもなく、地図もなく、観光ルートから外れて、
天然の飛び石を、弾むように歩いた。
前日の湿気が時折、生にしがみつくように僕の足を取ったけど、
そこに足跡を残すことで返礼し、
僕は前に進んだ。
どれだけの時間が過ぎたのかは判らないけど、
まだ視界すら開けない世界で、本来の色彩もない世界で、
手探りで僕は歩を進めた。
それはとても生きるという行為に似ていたよ。
しばらく進んだ後、
右手に切り立った岩肌を見ながら、正面に大きな屋久杉が見えた。
今僕を取り巻く、湿気や温度は想像できなかったけど、
屋久杉だけは、僕の想像より遥かに荘厳な姿をしていた。
それも1本や2本じゃない。
神様を数えるときに、1柱、2柱と数える気持ちが判る気がした。
旅行先で神を感じた3度目の日。
その屋久杉の後ろに来光が見えた瞬間、
僕の人生が一つの完結を迎えた気がした。
ゆっくりと、ゆっくりと、その杉に近づき、
幹に手を触れながら、今度は下から杉を見上げてみる。
樹の肌から、想いが伝わる気がした、ヒトには理解できない言葉ではあったけど。
少しだけ角度のついてきた陽の光と、杉の葉が、
現実の世界に、光で花吹雪を作った。
闇と光で作られたモザイク、現実の万華鏡。
かつてないほどの幸福感が僕を満たし、
陽の光に向かいながら、僕はその神々しさの中に腰を下ろした。
たっぷりとその光景を楽しんだ後に、
目を閉じてみる。
残念ながらヤシガニは廻りにいないけども。
今度目が覚めるとき、僕は何処に居るんだろう。
今度目が覚めるとき、僕は何になるんだろう。
ただ、笑いながら目を閉じていける今、
やはり悪くない人生だったんじゃないかと、そう思えるんだ。
貴女にあえてよかった。
貴女が照らしていた人生だった。
世界は、光に包まれている。
これまでも。
今も。
そしてこれからも。