いつもの日常、四角に切り取られた空。


家を出る時は、降ってなかった小雨が頬に触れる。

今日の小雨は、線や点ではなく、

密度のある面のように僕に降り注ぐ。


幾重ものヴェールがゆっくりと僕に覆いかぶさる感覚。


東京は今日も雨。


梅雨に入ると、少し元気がなくなるのは、

湿気を吸った分だけ、魂が重くなるからかしらね。


霧吹きで色づけされた僕は、

なんとなく昨日までの僕とは違うモノになっている気がする。



ブログを始めて、得たもの、見えないモノ。

それは多くのものを、気づかさせてくれた。

でも、手触りだけはない。キーボードから帰ってくる感触と音。


でも、恋することが命題だった今までの僕。

その恋は、ブログを始めて失い続けてる気がするね。


記事に現れること、記事に書かないこと、

人それぞれにブログを書くけれど。

悪意も、善意も、嘘も、いくばくかの真実も、

全てごちゃ混ぜになった記事の連なり。


目の前にある、記事が全てだと、そうは思えなくなってくる自分。


ここは現実の続き、モニターの向こうには人が居る。


その事実を、無視できる人。

気にしない人。

利用する人。


様々だけども。


多くのヒトに言えないこと、悲しいことを持っているからヒトがブログをやるのか。

それとも、無作為に切り取りとられたヒトがブログをしてるだけで、人間全てが悲しいのか。


優しい雨に包まれながら、考えていたのはそんなこと。


この優しい雨が、下水に流れ込むときに、どれだけ現実的な音を立てて、

現実的な処理施設を通っていくのか、そんなこと。


例えば、ネットの誰かに好きと言うこと、言われること、

それは、体と心のどこか一部が欠けている気がするのは、僕だけかしら。

たとえネットでも、好きという気持ちは、リアルであって欲しい。


僕の手に、何かが残らないのは、

本気で願ったことがないから?


地べたに倒れて、泣きながら誰かの名を呼べば、それで手に入るものがあるの?


そんな泥臭さだけが、ヒトに想いを伝えることができるの?


晴れた日の午後に、二人で紅茶を飲みながら、微笑みの中で伝わる気持ち。

それは、小説や映画の中にしか出てこないものなのかな。


記事の向こう、メールの向こうに、電話の向こうにいる貴女。

貴女の心は何処にありますか?