会社から慌しく、帰った後。
いつもより念入りに身体を洗い、空港へ急ぐ。
空港へ向かう途中の駅、電光板の数字は19:42。
いつもは時間に余裕をもって、くつろいでるはずの空路での旅行。
今日は動悸が早い。
普段冷静に振舞ってる分、少しだけ紫色のもやが広がる違いはあるけど、
この遠足前のような高揚感は、たまらなく自分が非現実に居ることを知らせる。
遠くに住む、君と初めて会う日。
電話と、メールで交わした、電子に変換された情報ではなく。
この目で、君をみて。
この唇で、君の気持ちを直接震わすことのできる日。
幾千幾万もの言葉が、君の中でどんな風に育ってるか、
その成果を刈り取りに行く日。
ここに辿り着くまでが、長かったのか、短かったのか、
そんなことは判らない。
でも、新鮮さを失わずここに居るのだから、
きっと今日が一番いいタイミングだったんだと想う。
飛行機の中では、眠るしかなかった。
自分の中に渦巻くものが、段々手に負えなくなってきたから、
このままでは、膨らみきった風船のような気持ちをもてあまして、
洗面所にでも駆け込む羽目になりそうだったから。
どうせ弾けるなら、君の中がいい。
慣れない、強い酒を頼んだ。
でも、顔や胸が熱くなるわけじゃなく、
膝と膝の間が一番熱を持っていたように感じたのは、
結局僕が正直で、健全な男だったからなのかもしれない。
眠りに就く前に、隣の乗客の腕時計が見えた、20:57。
軽い振動が、目的地への到着を教える。
何故だろう、少し身体が軽くなってる、そしてとても熱い。
君が吸っているだろう空気を吸い込むと、何故か頭の中のスイッチが、
カチリと一つ入る。
自分が本能的な獣から、理性的な獣に替わる瞬間。
嫌いじゃない。
見知らぬ空港の洗面所で、いつもよりゆっくりと顔を洗う。
鏡に映る自分が見える。
予め決めておいた空港の待ち合わせに、一人の女性がいる。
シンプルな白いワンピースと、複雑に足首に絡まるサンダル。
世の中は、実にシンプルにできている。
想ったよりも長く、かなり豊かな胸にまでかかる髪の向こうに、
少し小さめの君の目が見えたとき。
もう躊躇いはなかった。少なくとも僕には。
僕は1m手前で止まり、例えば握手をしたり、恥ずかしがりながら自己紹介をする場面で、
無言のまま、20cmまで歩み寄り、君の耳元に、
直に僕の声を吹きかけた。
「やっと、会えた。」
君の目に浮かんだのは、驚きだけ。
大丈夫まだいける。
3歩後ろに下がり、
「迎えに来てくれてありがとう、良かったら車まで案内してくれるかな?」
にっこりと微笑む僕に、照れ笑いを浮かべる君。
僕は優しい人間じゃないから、ここから君に勝たせやしない。
でも、逃げるのだけは自由だよ。
空港内の駐車スペース、中途半端な時間で人気もまばら。
トランクに荷物を入れた後、運転席のドアを開けようとする、
君の腰に、後ろから手を回す。
驚いて、僕の腕に手を添える君。
それを振り払うほどの、強さはない。
躊躇いだけが僕の腕に伝わってくる。
その腕に光る金の腕時計、21:16。
「だめよ、こんなところで…。」
少しだけ声を落として冷静に言う君。
嘘つき、僕に重ねられてる手の温度は、平常心をあらわしてない。
鼻先で髪を掻き分け、君の首筋にほんの少しだけ唇を這わす。
「こういうことがしたくて、ここまで着たの?」
語尾が震えてるよ?
「こういうこと?」
「私の身体が目当てで会いに着たの?」
言葉を言い終わらないうちに、ほんの少しだけ君の喉が弓なりになる。
「もちろん、違うさ。」
「じゃあ、何故こんなことをいきなりするの?」
腰に回した手を、更にきつく引き寄せる。
「君に触れたかったから。我慢できなかったんだ。」
そんな理由で、とこちらを向く君の言葉を、
言い終わるよりも前に、唇で塞ぐ。
もちろん、たっぷりと舌を差し込んで。
君の舌が、僕の舌に動きを合わせだしてのを見計らって唇を離し、
もう一度耳元で囁く。
「一つだけ自由をあげる。
君には僕を拒否する権利があるから、約束をするね。
君が”嫌”もし、そういったら、僕は全てのことを止めて、夜が明けるまで独りで過ごす。」
泣きそうな顔の君が居たね。
「ずるいよ…。」
「ずるくなんてない。」
今度は、目をみて、ゆっくりとやさしく接吻する。
触れるだけのキス。
今度は君はもう、ちっとも嫌そうじゃないね。
ごめんね、ほんとは俺も男らしく接したかった、時間を掛けて。
でも、このたった短い時間しか持ってない僕には、
例えば、こっちは暑いね?なんてつまらない事で1秒も無駄にしたくなかったんだ。
ただ、君が欲しかった。
空港から市街地に抜ける間、一言も発さず、君のほうを観ずに、
君の左の太ももに、そっと手を置いた。
決して動かさず、手を置いたいただけ。
夜風に反して、君の体温が少しだけ上がっていくのが判った。
肌に触れる大気は心地よかったけど、
一言だけ僕は口を開く。
「少し、熱いね。」
君は無言で、うつむきがちになり、全然別のことを僕に聞いたね。
「とりあえず、どこに向かおうか?」
「ホテルに荷物を置きに、その後はそれから決めようか?」
大きく息を吸い込んで、吐き出す君。
「うん、判った。やっと、会えたね。
まだ、全然実感ないや。」
また君は嘘を言う。
この手のひらの中に残る感触は、唇の弾力は、もう現実。
僕のカタチは、君に残ってない?
嘘だね。
全部確かめるまでは止まれない。
空港の駐車場から、ホテルのエントランスへ。
ベルボーイにうながされて、大きなガラス張りのドアを潜り抜けたとき、
不意に、覚醒が身体を通り過ぎた。
白いレースの向こうに朝陽があった。
枕元を観る。目覚まし時計が鳴る前、8:14.
その時計の横にある卓上カレンダー。
大きな赤丸がついてる日までは、あと28日もある。
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