初日から行き成りお題もらえました。・゚・(ノД`)ヽ


めちゃめちゃ嬉しいです!
もー、本当にありがとうございます!


でも、準備もしてないで勢いで開設したブログなんで
とりあえず、焦りに焦っております


が…勢いで書いちゃうのはやっぱり
僕が我慢できない人種ということで



Jiiek_Hammer様より『罪と罰』


「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」
「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、
社会道徳を踏み外す権利を持つ」
ですか~


罪と罰というのは
基本的に罪を犯す側に、ある一定の基準があり
その良心とも言うべきものに対して
罰を受けるという構図だと想うのですが

今の世の中、凄く不明瞭な線引きになっているなあって想います


まず罪は何なの?といえば
-法律があるじゃない、それを破ったら罪でしょ?-


じゃあ、自分で生活していて
どれが罪でどれが罪じゃないか
多分細かいこと誰も判ってないですよね?


すっごいミニスカートの女の子が
エレベータの前に居て、ちょっと身を屈めたら
犯罪ですか?罪ですか?


さてどうでしょう?


今の世の中、こうやって複雑に利害が絡み合って
どれが罪でどれが罪じゃないか

何らかの形でトラブルにならないと皆よく判ってないんじゃないかなと
想います


じゃあ、今度はその屈んだ男性にとって
それは悪いことなの?


ハイド的な統計としては
”あーなんか罪悪感あるな!でも見たい…”って自然を装う男性5割
”み、みみみみちゃいけないだろ!?”って目をそむける男性3割
”らっきー”って屈んじゃおうかなって勢いのな男性1割


…足して10割にならない

あとは、けしからん!って怒る男性1割…かな?


つまり
昔は、ヒトが暮らす集落は、ある程度みな同じような規則で
悪いこと、良いことを同意できていたでしょうし
その罰というのも、納得できる傾向だったのではないかなと
(もちろん魔女裁判等、
それが他対個という集団暴力に繋がり易い側面もありますけど)


今は、上にある例よりももっと極端に、ヒトを殺しても
殺した本人が、悪いことをしているという認識
ある場合とない場合あるなって想います

だから、殺人狂と呼ばれるようなヒトでもないのに
突然ヒトを殺して、その事に対して
罪の意識自体が欠落してるケースがあるわけで


これは言い換えれば
想像力の欠落なんでしょうね
う~んなんてベタな書き方なんでしょう…


先日池袋で、
デパートの屋上から人混みに身投げをした方いましたけど
なんというか凄いですよね
自分のエゴを他人に押し付けて、命を奪い、
その責任を取らなくていいところに、逃げ去るわけですから


ヒトがヒトを裁くことしか出来ない人間の社会上
本当に正しく罪と罰を与えることが出来るのは
自分だけなんだろうなと想います


そして、それが出来るヒトは殆どいないんじゃないでしょうか


もちろん他者からの罰を受け入れ
自分を悔い改めるヒトも居ると想います
でも、本質的に悔い改めるべきヒトは
他者からの罪に不満しかもたないのだろうと想います


例えば、罪と罰
そしてもうヒト要素”贖罪”
この3つがキチンとバランスを保てば
世のなかは正常な方に向かうのかもしれないなと想うのです

でも、池袋の話のように
当人は死んでゼロ、でも、巻き込まれた人の分
その廻りの人の哀しみの分、明らかに世のなかに
マイナスを残していくと想うのです


こんな連鎖が、ちょっとずつ
世のなかにマイナスの遺産を貯めていくんだなって想うと
なんともやりきれない気持ちになりますね


と、綺麗にまとめる最後に
やっぱり、罪と罰の話なら
今の日本という国に一言だけ言いたい

人権結構!権利結構!
でもさ
死んだ人の人権は誰が守ってくれるの?

冤罪がないのなら、ハムラビ法典って
悪くないんじゃないかなって側面を感じたりします

罪と罰のバランスの歪んでいる世のなか

少なくとも、自分自身を許せないことだけは責任とりたいですね