日拝塚古墳 福岡県春日市下白水南6丁目208 | ドリップ珈琲好き

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国指定史跡

日拝塚古墳 ひはいづかこふん

 

 

 日拝塚古墳は春日市西部の河岸段丘上に造られた6世紀前半の前方後円墳です。墳丘は一部削られていますが、周溝を含めた全長は約61m、墳丘の高さは5.5mです。石室は単室の横穴式石室で亡くなった人を納める玄室は奥行3.6m、幅2.6m、高さ4mです。1929(昭和4)年に石室内から銅鏡(獣形鏡)、装身具(金製垂飾付耳飾、金製花形座金、銀製棗型鈴玉、水晶製切子玉、琥珀製棗玉、ガラス丸玉、カラス小玉)、武器(金銅製環頭柄頭、鉄刀、鹿角製鉄刀柄片、鉄矛、鉄刀子、鉄鏃など)、馬具(鉄製輪鐙、鉄製轡、雲珠、青銅製馬齢、鋲留飾金具片など)末、須恵器(子持脚付壺、大型器台、長頸壺、提瓶、高坏など)、陶質土器(壺)など首長墓にふさわしい内容の副葬品が多量に出土しました。現在、東京国立博物館に保管されていますが、この時に出土したとされる金製垂飾付耳飾を春日市奴国の丘歴史資料館で展示しています。

 古墳の名前の由来は墳丘の主軸がほぼ東西を向いており、彼岸の時期には16km東方にある大根地山(筑紫野市)から昇る太陽を拝めることから「日を拝む塚」として、日拝塚古墳と呼ばれています。