因果歴然 | 撫塵は昨なれども、耳順催す

撫塵は昨なれども、耳順催す

残された人生を穏やかに暮らしたい。ささやかな願い。
しかし今は貧困層にいるので、そのためにはこの歳からでも
なんとか生活再建をしなければなりません。
そんな心身に不具合を抱えた中高年齢者の生活奮闘記です。

( 素材 by   pixabay   )

 

 

 

 

わたしは都民です。
現在、都知事選が行われています。

都知事選は他の自治体の首長選挙とは格段に注目度が違うので、
昔からそれはそれはいろんな人が立候補していました。

奇抜な恰好や、過激な主張も多々ありました。
眉をひそめる向きもありましたが、
しかしなんとか世間の常識内で収まってはいたように思えます。

しかし、先日の都内の衆院補選もそうでしたが、
今回の都知事選ではとうとうそれも越えてしまったようです。



今の世に因果を知らず、業報を明らめず、三世を知らず
善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず、
大凡因果の道理歴然として私なし、
造悪の者は堕ち、修善の者は陞る、毫釐もたがわざるなり、

( 道元禅師 修証義 )
 

 

わたしはなんの宗派にも属していませんが仏教徒だと自分では思っています。

 

社会の法令に違反しているかどうかなどは仏教には関係ありません。
造悪の者は堕ち修善の者は陞る、です。

業(行為の結果)が現れるのは今生か次生以降かは、それは分からない。

ただアラ還まで生きてきて、それこそ70年代や80年代からの
自分も他人も含めて観察してみて、人の行為の結果(報い)というものは
やはり、造悪の者は堕ち修善の者は陞る、だと感じています。


酒に耽り色に耽って、
誰か後身の報いを覚らん。

( 弘法大師 秘蔵宝鑰 )

 

 

いま自分がしている行為、

それが後々どんな結果をもたらすのか、

そんなこと彼らは想ったこともないのでしょう。