銅貨で魔女の世界へ | ヒャクゴウ、地球を駆け抜ける

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思いっきりやりたいことを、真剣勝負でやります。そんなヒャクゴウの日々の記録とたわごと

素敵な本に出合ったので、ご紹介させてください。
日本語教育とは全く関係ないのですが・・・

$そこに日本語がある限り


『魔女の宅急便』の作者として知られている角野栄子さんの大人の絵本のようなエッセイ集

『魔女の引き出し』

魔女のひきだし (MOE BOOKS)/角野 栄子

¥1,575
Amazon.co.jp

タイトルが語る通り、魔女に絡んだ旅行記や、歴史、そして筆者の子供のころの思い出が
心地よい文章で綴られています。

そして何よりも、東逸子さんの挿絵が美しい


$そこに日本語がある限り

(画像拝借しました。実際の挿絵とは違います)

私は以前から東逸子さんの絵がすきで、彼女の挿絵の本を買ったこともある

どこか欧州の画風には、うっとりさせられてしまう

このエッセイを私はコンビニのような古本屋で、
白と黄金色の銅貨たった2枚と引き換えに手に入れたのだけれど
柔らかいクリームをなでるような文体に、
思わず筆者こそが魔女なのではないのかと思ってしまう。

今では当たり前のように、ややファッションになった感もあるけれど
アロマテラピーだとか、ハーブだとか、パワーストーンだとか
多くの人が手に取っている時代だけれど
昔の欧州では、それを扱う人は下手をすると処刑の対象になった

$そこに日本語がある限り

(同上)

情報過多な現代とは違って、
ごくごく限られた知識の中で人々が生きていた時代
自分たち以上にものを知っていることは、尊敬だけではなく猜疑心の対象にもなった

まして男が権威を振るっていた世の中にあっては、
女性が「知」という力を持つのを好ましく思われなかったのだろう

幾度も「魔女」たちは、火のなかで死んでいったという

それでも私たちは、魔女の存在にどこか惹かれてしまう

体調を整える薬草から
恋しい相手に呑ませる惚れ薬

そんな現実離れした呪術も、
「科学」がかき消してしまった現代の私たちにとっても、
そんなおまじないは輝きを持っている

思えば子供のころから魔女が好きだった
小学校の学芸会では魔女の家庭教師(ここでも先生!)という役をやったことがある

黒いとんがり帽子
黒いワンピース
黒いマント

いつか自分も魔女になりたいと思っていたし、
もしかすると、今でもどこかで思っているのかもしれない

本の最後にこんな一節があった

「人はいつでも自分の居場所を探して安心したいという気持ちがあるようだ。
それでせっかちに自分をどこかに振り分けようとする。
どうもここには自分が入りそうにないと思っても、
むりやり押し込めてほっとしたいのだ。
そんな簡単に決めるのはいやだと強烈に宣言し、
その時代の要求をはねつけたのが魔女だと言えるように思う。
当然こういうややっこしい存在は世間からはうとまれる。
そんな時、魔女は低い声でおまじないをつぶやいて、
見えない世界から強い心をもらっていたのではないだろうか。」


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