信長の野望 創造PK プレイ日記その22 長篠武田家プレイ 難易度超級 | KMのゲームブログ

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長篠シナリオ、超級・武田家。
織田家と対決する直前ぐらいまでは進めることができたので、クリアはできていませんが記事にしておきます。


難易度は「超級」+軍団統治範囲「無制限」。
戦国伝あり、歴史イベントあり、寿命なし、討死なし、真田十勇士を含めた登録武将は全て「あり」という条件。


○イベント会戦「長篠の戦い」について。
難易度「上級」「超級」の場合、味方の損害も大きくなるため「乱戦」および「突撃」は限られた場面でしか使ってはいけません。
・序盤の敵軍を攪乱する場面は、正面から突撃すると条件を達成する前に味方が敗走してしまうので、戦場マップの端を迂回して柵内に侵入、攻撃します。
このとき柵の付近にある砦はできるだけ破壊しておくこと。放置しておくと意外なほど被害が出てしまいます。

・左右の軍それぞれの攪乱が成功後。
山県昌景隊で徳川家康隊と交戦すると、無条件で敗走させることができるので上手く利用します。
まずは味方の援軍と協力して信長本隊以外の敵を掃討します。損害が大きい部隊も後方からの射撃や混乱狙いの突撃などで活躍できるので、ここで無理はさせないこと。

・VS信長本隊
難易度「超級」における最難関。圧倒的な兵士数と高い能力。高難易度では自軍の被害が大きくなるため、セオリー通りに囲んで射撃するだけでは削りきることができません。
鍵となるのが「突撃」。乱戦強化などの他の戦法は使わなくて良いので、残った部隊で信長隊の後方や側面から順に突撃を仕掛けます。
信長隊が混乱すれば勝利は確定。残った部隊で囲んで弓を射かければ混乱が収まるころには撃退できているはず。
2~3部隊を背後から順に突撃させれば混乱すると思いますが、混乱しなかった場合は運が悪かったと思って直前のデータからやり直し。


○以下、プレイ中の主な出来事。
1575年2月、開始。政策は「甲州法度次第」「伝馬制」「夫役強化」の3つ。
1575年6月、イベント会戦「長篠の戦い」。勝利後は徳川家を従属させておく。織田家に攻め込まれないように、12月直前までは軍事行動を自重する。
直轄領は甲斐と駿河の2ヶ国。
1575年11月、北条、上杉家に下野・佐野家攻めの援軍要請。同時に上野、北信濃(委任軍団)の兵で佐野家を攻める。
1575年12月、織田家に家宝を贈り、工作→24ヶ月同盟の流れ(婚姻同盟の方が良かったかも)。兵農分離+兵舎量産体制が整うまでは織田家とは交戦しない方針。
直轄領(甲斐・駿河)の兵で上総・安房の里見家を攻める。

1576年1月、委任軍団が下野・唐沢山城を制圧し、佐野家を滅亡させる。
1576年3月、委任軍団が下野・祇園城を制圧し、結城家を滅亡させる。
1576年5月、直轄領の部隊で里見家を滅亡させる。躑躅ヶ崎と駿府の兵はそのまま常陸の佐竹家を攻める。
1576年8月、織田家と24ヶ月同盟を締結。上杉家とは12ヶ月同盟。委任軍団に飛騨の姉小路家を攻撃させる。
1576年12月、直轄領の部隊が常陸・太田城を制圧。委任軍団が飛騨・桜洞城を制圧する。
1577年3月、委任軍団が飛騨・姉小路家を滅亡させる。
1577年5月、織田家によって鈴木家が滅亡する。
1577年7月、直轄領の部隊が磐城・権現堂城を制圧し、佐竹家を滅亡させる。上杉家との同盟を6ヶ月延長。


●1577年7月時点での主な大名家(全39大名家)。
・織田家   兵数11万1460    武将247   本城14   支城25
・武田家   兵数8万4350     武将98    本城10   支城25
・毛利家   兵数6万60       武将59    本城10   支城16
・上杉家   兵数3万8503     武将60    本城3    支城15
・北条家   兵数3万7584     武将59    本城4    支城13
・大友家   兵数2万7451     武将42    本城3    支城9
・島津家   兵数2万5644     武将41    本城3    支城13

1577年8月、伊達、蘆名家に攻められる。
1577年10月、徳川家との従属関係を破棄。
1578年3月、織田家の援軍を借りて徳川家を滅亡させる。本多忠勝の捕縛、登用に成功する(重要)。
1578年5月、本多忠勝(蜻蛉斬)、真田信綱(神速)、結城晴朝(挑発)を持つ3人を躑躅ヶ崎に呼び寄せ。当面はこの3人を組ませて出陣させる。
兵士数のブースト目的で甲斐と駿河の国人衆を取り込んでおく。
1578年6月、停戦効果の切れた上杉家を攻める。

1578年7月、北条家との同盟延長をせず。翌月から北条家とも交戦。
1578年11月、上杉家が反織田連合を結成。武田家は同盟国として親織田連合に参加。反織田連合の伊達、蘆名家から下野・宇都宮城を頻繁に攻められる。北関東の兵で撃退。
1579年4月、北条家が反織田連合に参加。
1581年3月、北条家の相模・小田原城を制圧。味方の対北条家での優勢が決定的となる。
1581年11月、反織田連合が解散。織田家の要請で上杉家と6ヶ月間の停戦。
1582年12月、下総・森山城を制圧し、北条家を滅亡させる。対蘆名、対伊達家で遂に攻勢に立つ。
1583年2月、北越後・平林城を制圧し、上杉家を滅亡させる。上杉謙信、上杉景勝、樋口(直江)兼続、柿崎景家ら、主だった武将の登用に成功。

●1583年2月、上杉家滅亡直後の主な大名家(全20大名)。
・織田家   兵数46万9450   武将377   本城25   支城66
・武田家   兵数26万2146   武将337   本城18   支城60
・大友家   兵数6万2827    武将46    本城4    支城12
・島津家   兵数5万8435    武将49    本城5    支城22
・毛利家   兵数4万7635    武将70    本城8    支城8
・最上家   兵数1万9960    武将42    本城2    支城8
・伊達家   兵数1万8756    武将46    本城2    支城10

1583年4月、織田家から伊達家との停戦要請がくるも、これを拒否。
岩代・猪苗代城を制圧し、蘆名家を滅亡させる。
1583年8月、政策「兵農分離」を採用。そのほかは「甲州法度次第」「楽市楽座」「検地・刀狩令」「関所撤廃」「南蛮保護」「小荷駄隊配備」の合計7つ。「鉄砲隊配備」や「能力主義」も採用したいが、金銭面の折り合いで保留。政策費用と兵糧収入を確保するため、西方地域をほぼ全て直轄領化。
1584年4月、大名の武田勝頼と、戦闘要員の本多忠勝、結城晴朝、真田信綱は武蔵・河越城に移住。同時に直轄領を関東地方に変更。諸勢力を取り込んで本城の動員兵数を増やしておく。

1584年5月、織田家が毛利家を滅亡させる。
1584年6月、政策「鉄砲隊強化」「能力主義」を新たに採用。採用政策は合計9種類。

1584年10月、伊達家を滅亡させる。

●1584年10月、伊達家滅亡直後の主な大名家(9大名家)
・織田家    兵数73万9893   武将472   本城37   支城82
・武田家    兵数44万4125   武将444   本城23   支城80
・島津家    兵数8万5722    武将64    本城6    支城25
・大友家    兵数8万4680    武将72    本城4    支城12
・南部家    兵数1万9003    武将18    本城3    支城8



あとは織田家と手切れをして尾張・美濃~越中のどこかを突破できればクリアできるはずですが、言うは易し行うは難し。
兵農分離+兵舎ブーストで兵力が拮抗するぐらいまで同盟を維持できれば或いは、という感じでしょうか。
少なくとも1584年10月前後で織田家と正面から戦っても物量差で勝負になりませんでした。
軍団に委任していると殆ど挟撃をしてくれないため自力で操作する必要があるのですが、煩雑なので最後までプレイしていません。
織田家と同盟を結ぶ方向であれば、これぐらいまでは安定して勢力拡大できるという目安にでもなれば良いかなと。
イベント会戦後も織田家と戦い続けるよりは、一時的に同盟を締結する方が望みはありそうな気がします。


といったところで、今回はここまで。