信長の野望 創造PK プレイ日記その19 | KMのゲームブログ

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信長の野望 創造PK プレイ日記、第19回目です。

今回は、仮想シナリオ「天下三十将」の毛利家でプレイしていきます。
難易度は超級、軍団の統治範囲は「無制限」、討死なし。
開始3年ほどで九州統一目前まで勢力を広げる島津家(≒九州攻め)への対策を模索するのが目的。


○プレイ中の主な出来事。
・1615年8月、開始。
しばらくは内政に励みます。採用した政策は「傘連判状」「所領安堵」「夫役強化」の3つ。
備前~備中で国境を接している羽柴家に工作して信用を高めておきます。後々、四国の長宗我部家とも同盟を結ぶ予定。
平地にある城と尼子家領に続く道から優先的に街道整備。
・1615年10月、尼子家と陶家(事実上の大内家)が同盟を結ぶ。
・1615年12月、大友家に工作(陶家と戦闘になったときに敵方に付かれないように)。
・1616年2月、尼子家が羽柴領に攻め込む。
・1616年4月、尼子軍と羽柴軍が本格的に交戦したのを見て出雲・三刀屋城に出陣。総勢8400で強攻。
・1616年6月、三刀屋城降伏。そのまま出雲・新山城に攻め込む。羽柴と尼子の戦いは羽柴軍が大勝した模様。逆に羽柴家が尼子家の伯耆国に攻め込む。
・1616年7月、羽柴家と24ヶ月同盟を結ぶ。
新山城を制圧。羽柴家に取られないうちに伯耆国・八橋城に攻め込む。
・1616年10月、八橋城を制圧。
・1617年1月、月山富田城に出陣&強攻。総勢1万4000人余。
・1617年6月、月山富田城を制圧、尼子家は滅亡。朝廷工作開始。長宗我部家にも工作開始。
・1617年9月、大友家と24ヶ月同盟を締結。備後国・雲雀に築城開始。
・1617年10月、石見国・浜田に築城開始(銀山目的)。出雲国・出雲にも築城開始。ついでに陶家の石見・高津城と周防高森城に攻め込む。
・1617年12月、高津城が降伏。そのまま長門国・指月城に攻め込む。周防高森城は敵の抵抗が激しかったのでほどなくして撤退。
・1618年4月、周防・指月城を制圧。
・1618年5月、長宗我部家に価格6000の家宝を贈る。鍋島家からの12ヶ月同盟の打診を受諾。
・1618年9月、陶家を滅ぼすべく2万5000人の兵を動員して周防と長門国に出兵。
・1618年10月、長宗我部家と24ヶ月同盟を結ぶ。朝廷から官位をもらう。政策「遠交近攻策」を採用。
・1618年11月、反島津連合結成の準備のため、足利家、徳川家、武田家などの有力大名に外交工作。
・1619年4月、周防・長門を平定し、陶家滅亡。
・1619年6月、羽柴家によって明智家滅亡。
・1620年3月、大友家の豊後・岡城が陥落したことにより、四国の長宗我部家に島津家への攻撃指示を出せるようになる。毛利&大友&長宗我部連合vs島津家の構図が完成する。
・1620年6月、肥前・勢福寺城付近で島津家と大会戦。島津家の攻勢が緩む。安芸以東の直轄領からの後続部隊が到着し、村中城と柳川城を攻める。
・1620年11月、肥前・村中城付近で島津家と大会戦。一瞬無防備になった肥前・村中城と筑後・柳川城を強攻。
・1621年1月、柳川城制圧。2度の大会戦の敗北で兵が激減した島津家(開戦前6万5000→敗北後3万8000)が長宗我部・大友家によって攻められ始める。
・1621年5月、村中城近郊で島津家と3度目の大会戦。村中城を攻めていた部隊は撤退。
・1561年7月、委任軍団が肥前鹿島城と肥前・獅子ヶ城を制圧。直轄領から村中城へ再度出陣。
・1622年3月、村中城を制圧。
・1622年8月、反島津連合は解散。
・1622年9月、第二次反島津連合結成。参加大名は毛利、羽柴、足利、長宗我部、大友家。後から武田家と北条家、織田、今川、本願寺も参加。
・1623年10月、肥後、日向も制圧(ただし、一部の城は大友家や長宗我部家領)。
・1624年3月、薩摩・内城を制圧し島津家滅亡。
・1624年4月、反島津連合が解散したことにより、長宗我部家と大友家が戦い始める。
・1624年8月、大友家との同盟を延長せず。
・1624年9月、長宗我部家との同盟を12ヶ月延長。
・1524年10月、大友家と本格的に交戦。
・1625年6月、豊後・府内館を制圧し、大友家滅亡。軍団を解散し、元就と忠誠度が赤色の武将は隈本城へ引越し。採用している政策は「傘連判状」「方面軍組織」「目安箱」「遠交近攻策」「伝馬制」の5つ。

・1625年9月、長宗我部家との同盟を延長せず。
・1625年11月、長宗我部家領に侵攻開始。
・1626年2月、九州から長宗我部家を排除し、九州統一。反長宗我部連合を結成。参加勢力は足利、羽柴、織田、本願寺、武田、北条、伊達家(長宗我部家以外の全ての大名)。
・1626年6月、羽柴家との同盟を延長せず。織田家、本願寺家と24ヶ月同盟を締結。
・1627年1月、羽柴家によって長宗我部家滅亡。連合解散。
・1627年3月、反羽柴連合結成。参加勢力は羽柴家以外の全大名家。

○羽柴家と開戦直前での大名家勢力(1627年5月時点)・・・全8大名
毛利家:兵数39万9031人、武将401人、本城21、支城64。
羽柴家:兵数22万1325人、武将267人、本城17、支城32。
北条家:兵数18万7812人、武将229人、本城10、支城29。
織田家:兵数18万7295人、武将249人、本城9、支城27。
伊達家:兵数18万4849人、武将310人、本城11、支城46。
本願寺家:兵数11万7472人、武将104人、本城5、支城13。
武田家:兵数7万6370人、武将172人、本城3、支城17。
足利家:兵数201人、武将84人、本城0、支城1。

・1627年6月、羽柴家によって足利家滅亡。
・1628年4月、四国から羽柴家勢力を駆逐。
・1628年12月、織田家によって羽柴家は滅亡。反羽柴連合は解散。
・1629年1月、織田家との同盟を破棄。
・1629年3月、反織田連合を結成。参加勢力は、本願寺、北条、武田、伊達家。
・1629年4月、織田家と全面戦争に突入。

○織田家と開戦直後の大名家勢力(1629年6月)・・・全6大名
毛利家:兵数59万4139人、武将468人、本城28、支城88
織田家:兵数29万9834人、武将468人、本城18、支城34
伊達家:兵数25万3294人、武将322人、本城11、支城46
北条家:兵数25万3228人、武将230人、本城10、支城31
本願寺家:兵数13万6781人、武将113人、本城6、支城14
武田家:兵数8万224人、武将172人、本城3、支城17

・1631年2月、織田家の摂津・石山御坊を制圧。北条家は駿河を平定し遠江~三河へ侵攻。
・1631年5月、織田家の山城・二条御所を制圧(政策「惣無事令」施行の条件を満たす)。
採用している政策は「傘連判状」「兵農分離」「検地・刀狩令」「楽市楽座」「関所撤廃」「鉄砲隊強化」「小荷駄隊配備」「方面軍組織」の8つ。
北条家は尾張まで勢力拡大。武田家も美濃~伊勢を制圧。本願寺家は北近江・小谷城、美濃・稲葉山城などの制圧に成功。
・1631年12月、武田家によって織田家滅亡。反織田連合は解散。

・1632年5月、本願寺家を攻める。武田家からの6ヶ月同盟の提案を受諾。
・1633年4月、武田家からの12ヶ月同盟の提案を受託。
・1633年12月、反北条連合結成。参加勢力は伊達家、武田家。
・1634年5月、委任軍団によって本願寺家滅亡。

○本願寺家滅亡直後の大名家勢力(1634年5月)・・・全4大名
毛利家:兵数124万4375人、武将712人、本城45、支城117
伊達家:兵数43万7527人、武将352人、本城12、支城59
北条家:兵数35万6833人、武将356人、本城18、支城51
武田家:兵数3万504人、武将204人、本城1、支城4

・1636年11月、伊達家によって北条家は滅亡。反北条連合は解散。
毛利家は駿河・伊豆~南信濃まで制圧。北陸は加賀・能登が毛利で越中・飛騨・越後が伊達家。

○伊達家・武田家と開戦直前の大名家勢力(1637年2月)・・・全3大名
毛利家:兵数169万1402人、武将910人、本城50、支城134
伊達家:兵数97万4030人、武将641人、本城24、支城93
武田家;兵数7万6099人、武将211人、本城2、支城5

・1637年7月、委任軍団によって武田家滅亡。
・1637年9月、対伊達戦。駿河~南信濃~越中まで制圧、膠着状態に陥る。
・1640年2月、委任軍団では状況を打破できないようなので、惣無事令を施行してクリア。

○1640年2月時点での勢力・・・全2大名
毛利家:兵数177万7954人、武将1142人、本城53、支城140
伊達家:兵数94万3405人、武将678人、本城23、支城92


なお、ここから九州の直轄兵20万人ほどで大会戦を数回行いましたが、状況を覆すまでには至らず。
本城を20以上持つような勢力同士の衝突だと大会戦でも決定打にはならず、泥沼化は避けられない様子。
兵が渋滞しがちな山間部を越えた先にある城をいかに素早く制圧&維持できるかが鍵だと思われます。


○プレイ所感など。
小細工なしで戦って押し潰せるのは、せいぜい本城10、兵数12~13万ぐらいまでの勢力。
それ以上の勢力になると、連合による挟撃や直轄領からの遠征などを利用しないと泥沼化しがち。
侵攻経路が少ない場合は大会戦を使っても膠着状態を解決できない可能性が高いです。
ゲーム開始時の設定で直轄範囲を「無制限」にしている前提で、プレイヤーが直接指示を出さない限りほぼ手詰まりとなります。

根本的な対策は、COM勢力が領土を広げる前に連合や同盟で雁字搦めにしてしまうこと。

上級や超級は長手数の詰将棋を解いている感覚。手順を怠る(主に外交)と簡単に滅亡に追い込まれますし、どの大名家で始めてもやるべきことは変わらない気がします。
そういう意味でのゲーム性は中級の方が好み。

直接的に関係ありませんが、天下三十将のシナリオでは外交収入目的で官位→遠交近攻策を狙うのは有効とは言えません。開始時点から大名家の数が少ないのであまり収入が増えません。

といったところで、今回はここまで。