信長の野望 創造PK プレイ日記その18 | KMのゲームブログ

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信長の野望 創造PK プレイ日記、第18回目です。

今回は、1570年開始のシナリオ「信長包囲網」の織田家、難易度「超級」+軍団範囲「無制限」でプレイ。
「戦国伝あり」、「歴史イベントあり」、「寿命なし」、「討死なし」の設定。

○実際のプレイで起こった主な出来事。

・戦国伝「信長包囲網」「松永久秀という男」を開始。
・開幕初手で、美濃、尾張以外の領地を軍団(軍団長は羽柴秀吉)に委任。美濃と尾張の兵で伊勢国・長島城を攻める。翌月には降伏。
・採用した政策は「楽市楽座」。朝廷工作も始めておく。
・足利家との停戦が残っているうちに、秀吉軍団には六角家の石部城攻略を指示。朝倉家の6000人強を釣る。
・松永久秀、大和・信貴山城で独立(戦国伝の結果)。
・美濃と尾張の兵で北近江の浅井領に侵攻。武将録「長政の死」は無視。朝倉家からの敵増援は8000人ほど。
・1570年10月、北近江の小谷城付近で大会戦。織田軍1万6000人vs浅井・朝倉連合軍1万2000人。被害6000人弱で勝利。
・信長本隊は一度帰城、他の兵5000人余で小谷城を強攻。4000人程の兵で鎌刃城を包囲。
・1570年11月、六角家滅亡。三好家その他が大和などに攻めてくる。
・敵増援の一色家を小谷城付近で撃退。鎌刃城を制圧したことに満足して全軍帰還。

・1571年2月、委任軍団が筒井家の大和・十市城を制圧。筒井家滅亡。
・戦国伝達成のため、岐阜城から松永家の信貴山城に向けて信長本隊出陣。
・1571年5月、信長本隊が信貴山城の包囲に成功して、戦国伝「松永久秀という男」達成。
・1571年9月、武田家に攻められていた飛騨の姉小路家を救援。
・1571年11月、手薄になっていた武田家の信濃・飯田城に東美濃の兵で攻め込む(遠江で戦っていた徳川家の援護込み)。制圧が目的ではないので接敵した直後に撤退。
・1571年12月、満を持して浅井家の小谷城に攻め込む。総勢1万3000人+委任軍団からの増援3000人ほど。朝倉家からの援軍は7000人ほど。浅井家は迎撃する余力なし。
・委任軍団が三好家の河内・高屋城の攻略に成功。
・1572年1月、北近江・小谷城付近で朝倉家の兵6000人余と大会戦(味方は総勢1万1000人ほど)。勝利後は残敵を掃討して帰城。
・この辺りのタイミングで武田家と上杉家に攻められた姉小路家が滅亡。援軍間に合わず。
・1572年4月、委任軍団が浅井家の北近江・清水山城を制圧。そのまま朝倉家の若狭・後瀬山城に侵攻。
・1572年5月、好機とばかりに美濃と尾張の兵で浅井家の小谷城に攻め込む。
・1572年7月、委任軍団が朝倉家の後瀬山城を制圧。直轄軍団が浅井家の小谷城を制圧。浅井家滅亡。
・1572年9月、そのままの勢いで朝倉家の越前に侵攻。本願寺家の増援もろとも蹴散らして支城を制圧。
・1573年3月、一城谷城を制圧。
・1573年6月、越前平定。朝倉家滅亡→加賀まで勢力を広げた上杉家と国境が隣接する。
・1573年7月、委任軍団に足利家の山城・二条御所攻めを指示。
・1573年9月、二条御所を包囲して足利家滅亡。戦国伝「信長包囲網」達成→武田信玄死亡→戦国伝「長篠の戦い」発生。
・1573年10月、朝廷から官位をもらう。政策「遠交近攻策」を採用。
・1574年2月、軍団を解散。前線の美濃を委任するために信長は観音寺城に移動。各地の諸大名を従属させておく。採用している政策は「火器集中運用」「楽市楽座」「関所撤廃」「鉄砲隊強化」「遠交近攻策」「伝馬制」の6つ。
・イベント会戦「長篠の戦い」。敵の山県昌景隊は強いので徳川軍は信長本隊の初期位置まで徐々に後退して包囲殲滅。最後に武田勝頼隊を撃破して終了。
難易度「超級」の場合でも以前の記事通りの戦い方で良いですが、近接戦は被害が大きいので使い所は慎重に。
・1574年2月、戦国伝「安土城築城」開始。軍団の再編。直轄領は近江・伊賀・伊勢・志摩。
美濃、尾張、山城、伊勢、大和、河内、越前、若狭が委任軍団。
政策「火器集中運用」と「鉄砲隊強化」は維持費が馬鹿にならないので一旦廃止。

・1574年7月、別所家と赤松家がそれぞれ鈴木家と宇喜多家によって攻め滅ぼされる。
・1574年9月、戦国伝「安土城築城」達成→戦国伝「中国征伐」開始→自動的に反信長包囲網(第二次)が結成される。武将録「松永久秀の最期」は無視。
・1574年11月、三好家の飯盛山城、有岡城、岸和田城に同時侵攻。委任軍団が上杉家の加賀・越中・飛騨に攻め入る。
・1574年12月、飯森山城、有岡城、岸和田城を制圧。そのまま本願寺家の摂津・石山御坊を攻める。

・1575年3月、石山御坊を強攻で落とす。本願寺家滅亡。そのまま三好家の播磨・神吉城を攻める。余剰兵力で丹波の波多野領に攻め込む。
・1575年6月、毛利、三好、宇喜多連合軍が播磨に攻めてくる。越中~能登を巡って上杉家と合戦。

・1576年2月、波多野家の八上城攻略。波多野家は滅亡。毛利・宇喜多家の侵攻が一旦止まる。
・1576年6月、信濃を巡って武田・北条家と大規模な合戦。依然として越中・能登では上杉家と合戦中。信長の直轄軍は信濃、能登、越中に2~3部隊ずつ派遣する。
・1577年9月、徳川家が武田家の信濃を攻めたことで、北条・武田連合軍は撤退。防衛に成功する。
・1577年11月、局面が落ち着いたので、近江・伊賀の直轄領から鈴木家の紀伊を攻める。敵増援に長宗我部家。

・1578年8月、紀伊を平定し、鈴木家滅亡。この辺りのタイミングで徳川家と無期限同盟を締結(松平信康の死亡イベント)。
・1578年11月、直轄領の兵で宇喜多家の播磨・姫路城を攻める。長宗我部家によって三好家滅亡。
・1579年9月、姫路城制圧。戦国伝「中国制圧」は期限切れで失敗。
・1579年12月、直轄領の兵で但馬の山名家を攻める。
・1580年3月、山名家滅亡。
・1580年5月、毛利家によって反織田連合を結成される。各地で絶え間ない防衛戦が続く。

・1581年7月、北条家によって武田家滅亡。
・1582年1月、宇喜多家の岡山城を制圧。戦国伝「征夷大将軍への道」開始。
・1583年3月、毛利家の鳥取城を制圧。委任軍団によって上杉家の南越後を制圧。
・1583年5月、3年が経過して反織田連合は解散。
・1583年12月、宇喜多家の備前・下津井港を制圧。宇喜多家滅亡。
・1584年1月、毛利家の美作・津山城を制圧。戦国伝「征夷大将軍への道」達成。
・クリア。


参考:1584年1月時点での勢力。10大名家。
織田家→石高15万678、兵数44万1802人、武将408人、本城30、支城66。
島津家→石高6万2415、兵数23万9110人、武将132人、本城12、支城39。
北条家→石高4万3879、兵数21万8075人、武将200人、本城8、支城30。
毛利家→石高2万5444、兵数7万4535人、武将87人、本城5、支城13。
徳川家→石高2万1008、兵数14万1590人、武将67人、本城5、支城14。
長宗我部家→石高1万8688、兵数9万2988人、武将77人、本城5、支城18。
最上家→石高3万638、兵数8万8270人、武将75人、本城6、支城17。
伊達家→石高9721、兵数2万1036人、武将66人、本城3、支城8。
上杉家→石高5550、兵数2万5043人、武将73人、本城2、支城3。
大崎家→石高955、兵数2509人、武将11人、本城0、支城2。


なお、ここから更に15年ほど経過させると、残るのは織田家、島津家、徳川家の3大名家だけになります。
島津家を滅亡させるまで続けようかと思いましたが、周防・長門~関門海峡~豊後・筑前を巡る攻防が10年以上続いても決着しそうになかったので諦めました。


○クリア後の所感
戦国伝の影響で序盤から中盤にかけて外交関係が殆ど機能しないので、慢性的に敵援軍込みでの大規模な戦いが続きます。
従って、wikiでは北条家と同じ入門者向け大名に分類されていますが、難易度「上級・超級」でのプレイは北条家よりも格段に難しいです。
武田家と徳川家の均衡はかなり危いので、防衛のための援軍は頼まれていなくても派遣すること。一度均衡が崩れると徳川家は簡単に滅亡寸前まで追い込まれます。
武田家との戦線を維持した状態で浅井・朝倉家を滅ぼせれば大体クリア。
安土城完成で武田信玄の死亡イベントが発生し、長篠のイベント会戦で武田家を大幅に弱体化させることができるからです。
長篠後は東の脅威がなくなるので(上杉家は東西に伸びきった領地の影響で大きな脅威にはならない)、畿内平定を目指せばOKです。
長篠後は長宗我部家との外交姿勢が「関心」に変わるので、同盟を結ぶことができれば楽な展開になります(今回は鈴木家の増援にきた長宗我部軍と誤って交戦してしまったので失敗)。
長宗我部家と連動して毛利領に侵攻するのが理想。独力でも一応勝てましたが時間がかかるのでオススメはしません。
毛利家を滅ぼす頃には本城の数が30を超えるはずなので、あとは惣無事令を施行してクリア。


○おまけ:創造PKの仕様と九州征伐。
ゲームの仕様上(腰兵糧&街道・海路&部隊派遣可能な範囲)、九州は攻め辛く、攻め落とせたとしても領土維持が難しいという困った土地。
今作は補給の関係で四国⇔九州ルートが殆ど機能しないので、委任軍団に任せているだけでは島津家を滅ぼすことはできません。
かといって、畿内や他の直轄領から大軍を送っても関門海峡付近で大渋滞を起こすので物量戦はあまり上手くいきません。
兵糧補給の都合もあるので、海路から沿岸部の城をいきなり攻め落とすのも困難です。
直轄領の軍勢だけで島津家と大会戦を行い、直後に委任軍団に領地を攻めさせる手法も内政値カンスト後の九州ではあまり意味がありません。
北九州で渋滞している間に兵の回復が間に合ってしまします。

武力統一を目指す場合の最大の障害は九州なので、島津、大友(、龍造寺)の信用を高めて同盟を結んでおき、味方連合に加入させて勢力拡大を間接的に妨害するのが最善。
連合消滅後に同盟を破棄して攻め込めば、弱い状態の島津や大友家と戦えます。
北九州一帯を制圧できれば九州統一は目前。あとは物量で押していけばOK。

既にCOM勢力に九州を統一されてしまっている場合は、捕虜を斬首していく消耗戦に持ち込むぐらいしか有力な手がなさそう。
なお、同盟を結んでいる間に領地を広げて惣無事令でのクリアを目指す場合ですが、隣接している大名家がプレイヤー勢力だけになると、婚姻同盟ですら破棄されることがあるので過信は禁物。

といったところで、今回はここまで。