私が編集長を務めている雑誌「美術屋・百兵衛」では、
複数のコラムを連載しています。
そのひとつが、美術評論家の中野中(なかのあたる)さんによる「美のことごと」。
このコラムでは、絵画作品や芸術家など「美」にまつわる話が展開されます。
今年の冬号に始まり、現在編集中の秋号まで4回にわたり取り上げられているのが、
“夭折の天才画家”村山槐多です。

ご存じない方のために、村山槐多の生涯をかいつまんで紹介しましょう。

1896(明治29)年9月15日横浜生まれ、
1919(大正8)年2月20日東京で没。
画家,詩人。

幼時を京都で過し,京都府立第一中学校卒業。
従兄の山本鼎(かなえ)の感化を受けて画家を志し,1913年上京。
画家・小杉放庵の家に寄寓して日本美術院研究所に学んだ。
中学時代からボードレールらに親しみ,
また前衛的な水彩画などを描いたという。
フォーヴィスム風の作品を発表し,異色作家として注目されたが、
結核のため夭逝した。
代表作に「尿する裸僧」(長野県 信濃デッサン館

「自画像」(大阪市立美術館

「裸婦」(愛媛県 久万美術館)など、

遺稿集に『槐多の歌へる』がある。

作品を観るにしても、その生涯を追うにしても、
非常に興味深い画家であり、魅力的な人間です。
私が槐多の作品を観たのは、2011年の年末から2012年の年始にかけて
愛知県の岡崎市美術博物館で開催された展覧会、
村山槐多の全貌 ―天才詩人画家22年の生涯!―」でした。
その時に最も印象的だったのが、上にも挙げた「尿する裸僧」。
いわゆるフォーヴィスム風の色彩とタッチでも衝撃的でしたが、
なぜか僧侶が放尿しているという題材そのものが驚き!
なぜこの人はこんな絵を描こうと思ったのか、
なぜこの人はこんな風に描いたのかが、とても不思議でした。
その展覧会には作品だけでなく、様々な資料が展示されており、
年下の男子学生(美少年らしい)に宛てたラブレターもありました。
22歳と5か月という短い人生でしたが、
その中身は非常に濃かったのではないかと推測できます。

槐多は多くの自画像を残しています。
上に挙げた作品以外に、ここでは後2点紹介しましょう。
『紙風船をかぶれる自画像』(個人蔵)

『(白衣の)自画像』(三重県立美術館

多数の自画像を描いたということは、
もしかするとナルシストの気があったのかもしれません。
それとも、自分の顔で芸術的な実験を繰り返していたのでしょうか?
私は研究者ではないのでそのあたりのことはわかりませんが、
おそらく調べれば調べるだけ面白い話が出てきそうな気がします。

槐多には絵の才能だけでなく、文才もあったようで、
死後にいくつかの著書が発行されています。
今でもその多くは書店で販売されているようです。
ネット環境が整っていれば、無料で入手することも可能。
著作権が消滅した作品や著者が許諾した作品のテキストを公開している
インターネット上の電子図書館「青空文庫」にアップされているからです。
青空文庫はボランティアで運営されており、
閲覧は無料ですから、興味にある方はぜひアクセスしてみてください。

私が観た「村山槐多の全貌 ―天才詩人画家22年の生涯!―」の前年、
東京の渋谷区立松濤美術館でも村山槐多の展覧会が開かれていたようです。
ガランスの悦楽 没後90年 村山槐多」と題されたこの展覧会にも、
きっとこの「カンナと少女」(東京国立近代美術館)は出展されていたでしょう。

槐多は女性像もかなりの数を描いていますが、
この作品はそれらの中でも叙情性と前衛性にすぐれた秀作だと思います。
実は、彼はこの作品で第2回日本美術院展覧会の院賞を受賞したほど。
当時の美術界にあっても、かなり高い評価を受けたことがわかります。

22歳と5か月という短い人生で、大きな芸術的成果を上げた槐多。
自分が22歳と5か月の時に何をしていたかを考えると、恥ずかしくなるくらいです。
あと4年もすれば没後100年を迎えるだけに、
おそらくその時には過去にない大々的な回顧展が開かれるでしょう。
その日が来るのを楽しみに待ちたいと思います。