岡本太郎を訪ねる旅のレポート、第2弾です。
5月1日、東京国立近代美術館で「生誕100年 岡本太郎展」を観た後、青山に向かいました。
ここにはかつて太郎が暮らした家、現在は岡本太郎記念館として残されている施設があるからです。
生誕100年とともに、いろんなところで太郎が取り上げられているせいか、ここもかなりの人出でした。
太郎の芸術が生まれた場所がこうして残され、
その創造の秘密の一端が明かされているのは非常に良いことだと思います。
ここでは現在、岡本太郎生誕100年第一弾企画展「生命の樹」展が開催されており、
大阪万博当時に太陽の塔の内部に展示されていた「生命の樹」の何十分の一かの模型が飾られています。
この「生命の樹」模型を再現させたのはフィギュアで有名な海洋堂。
今では写真でしか見ることのできなかった40年前のモニュメントを、
観覧者が肌で直に感じることのできる貴重な機会です(展示は6月26日まで)。
記念館にはこうした企画展示の他にも、常設展示があり、
太郎が生きていた頃そっくりそのままのリビングルームや、
描きかけたままに残されている絵画作品や道具類が置かれたアトリエを観ることができます。
太陽の塔を思わせるようなたくさんのオブジェが置かれた庭も楽しいもの。
建物や庭はもっと大きいかと思っていたのですが、意外とコンパクトでした。
場所は青山の一等地にはありますが、太郎さんは案外慎ましやかな人だったのかもしれません。
ちなみに記念館は展示された作品も含めて、基本的に全てが撮影可能。
太郎人形と一緒に記念撮影をすることもできます。
さて、青山から次に向かったのは、渋谷。
JR渋谷駅から京王井の頭線の渋谷駅に向かう途中、渋谷マークシティ内です。
ここには『太陽の塔』と並ぶ太郎の大作『明日の神話』が展示されています。
この作品は、岡本太郎が制作した、縦5.5メートル、横30メートルの巨大壁画
『太陽の塔』の制作と同時期の1968年から1969年、
メキシコの実業家から「ホテルのロビーを飾るための壁画を描いてほしい」との依頼を受けた太郎が、
現地に何度も足を運んで完成させたものです。
しかし、依頼主の経営状況が悪化したことでホテルは未完成のまま放置されることになり、
『明日の神話』もロビーから取り外されて行方不明になってしまいました。
それが2003年9月、メキシコシティ郊外の資材置き場で発見され、
岡本太郎記念館館長だった養女の岡本敏子さんの尽力で、修復、公開されるに至ったものです。
(ただし、敏子さんはその完成を見ることなく、亡くなられてしまいました…)
実は、この『明日の神話』ですが、私が訪れた時にちょっとした事件が起こっていたのです。
事件とは、作品の一部に、福島第一原発事故をイメージさせる絵が付け加えられていたもの。
作品が展示された壁の空きスペースに、縦1m、横2mほどのベニヤ板がテープで張り付けられ、
そこに福島第一原発の四つの原子炉建屋をイメージした絵が描かれていたのです。
骨組みだけになった建物が黒い煙を上げている描写もありました。
幸い壁画の原画には手が加えられておらず、ベニヤ板は5月2日夜に撤去されたそうです。
私が現地を訪れた5月1日の夕方にはすでに、何者かの手によってベニヤ板が貼られていました。
その証拠が、↓の写真。
下りのエスカレーターから何気なく撮影したものですが、
そこには原画にはない絵が加えられています(擬人化した船の下にある部分=写真中央)。
移動しながらの撮影で、少し手ブレしているのが残念!
ただし、その時はまったく気づきませんでした。
よく観るとわかるはずなんですが、太郎的な作風に仕上げられているので、
気づけなかったのかもしれません。
5月1日、東京国立近代美術館で「生誕100年 岡本太郎展」を観た後、青山に向かいました。
ここにはかつて太郎が暮らした家、現在は岡本太郎記念館として残されている施設があるからです。
生誕100年とともに、いろんなところで太郎が取り上げられているせいか、ここもかなりの人出でした。
太郎の芸術が生まれた場所がこうして残され、
その創造の秘密の一端が明かされているのは非常に良いことだと思います。
ここでは現在、岡本太郎生誕100年第一弾企画展「生命の樹」展が開催されており、
大阪万博当時に太陽の塔の内部に展示されていた「生命の樹」の何十分の一かの模型が飾られています。
この「生命の樹」模型を再現させたのはフィギュアで有名な海洋堂。
今では写真でしか見ることのできなかった40年前のモニュメントを、
観覧者が肌で直に感じることのできる貴重な機会です(展示は6月26日まで)。
記念館にはこうした企画展示の他にも、常設展示があり、
太郎が生きていた頃そっくりそのままのリビングルームや、
描きかけたままに残されている絵画作品や道具類が置かれたアトリエを観ることができます。
太陽の塔を思わせるようなたくさんのオブジェが置かれた庭も楽しいもの。
建物や庭はもっと大きいかと思っていたのですが、意外とコンパクトでした。
場所は青山の一等地にはありますが、太郎さんは案外慎ましやかな人だったのかもしれません。
ちなみに記念館は展示された作品も含めて、基本的に全てが撮影可能。
太郎人形と一緒に記念撮影をすることもできます。
さて、青山から次に向かったのは、渋谷。
JR渋谷駅から京王井の頭線の渋谷駅に向かう途中、渋谷マークシティ内です。
ここには『太陽の塔』と並ぶ太郎の大作『明日の神話』が展示されています。
この作品は、岡本太郎が制作した、縦5.5メートル、横30メートルの巨大壁画
『太陽の塔』の制作と同時期の1968年から1969年、
メキシコの実業家から「ホテルのロビーを飾るための壁画を描いてほしい」との依頼を受けた太郎が、
現地に何度も足を運んで完成させたものです。
しかし、依頼主の経営状況が悪化したことでホテルは未完成のまま放置されることになり、
『明日の神話』もロビーから取り外されて行方不明になってしまいました。
それが2003年9月、メキシコシティ郊外の資材置き場で発見され、
岡本太郎記念館館長だった養女の岡本敏子さんの尽力で、修復、公開されるに至ったものです。
(ただし、敏子さんはその完成を見ることなく、亡くなられてしまいました…)
実は、この『明日の神話』ですが、私が訪れた時にちょっとした事件が起こっていたのです。
事件とは、作品の一部に、福島第一原発事故をイメージさせる絵が付け加えられていたもの。
作品が展示された壁の空きスペースに、縦1m、横2mほどのベニヤ板がテープで張り付けられ、
そこに福島第一原発の四つの原子炉建屋をイメージした絵が描かれていたのです。
骨組みだけになった建物が黒い煙を上げている描写もありました。
幸い壁画の原画には手が加えられておらず、ベニヤ板は5月2日夜に撤去されたそうです。
私が現地を訪れた5月1日の夕方にはすでに、何者かの手によってベニヤ板が貼られていました。
その証拠が、↓の写真。
下りのエスカレーターから何気なく撮影したものですが、
そこには原画にはない絵が加えられています(擬人化した船の下にある部分=写真中央)。
移動しながらの撮影で、少し手ブレしているのが残念!
ただし、その時はまったく気づきませんでした。
よく観るとわかるはずなんですが、太郎的な作風に仕上げられているので、
気づけなかったのかもしれません。