image
 
『海辺にて』
 

初めて母と海へ行った日
僕らの母は
砂浜から遠い場所にいた

僕は
海を一望出来て
僕らが溺れても分かる場所だねと言った

妹は
私たちが溺れても気付かずに済む場所だよと言った

 

 

***

今日は仕事の合間

自転車で遠出

海に行きました

 

憧れの海のはずなのに

悲しくてなってきてすぐに帰りました

 

父の死後

親の離婚で疎遠になった

全ての親戚との繋がりが戻り始めてます

 

みんなの話を聴くうちに

母のことがより深く分かってきました

 

僕の中の母は

『どこか悟りきった物静かな人』

『いつも遠くで見てる人』

 

親戚や妹に尋ねると

僕以外誰もそういう人はいませんでした

 

総じて

『気が強くわがまま』

『育児が苦手で家事は手抜き』

 

実際

母はどう思ってるのかは謎ですが

 

父との関係の方が

深刻な問題だった僕は

相対的に母を好意的な目で見ていたのだと思います

 

ある時

母はこう言いました

『あなたが生まれて一番大変だったのは、XX子(叔母)じゃないかしら』

まるで他人事

 

その時は

母は面白いなとしか思いませんでしたが

それは真実だったようです

 

実際

5歳くらいまでは

じぃちゃんの家(母の実家)の記憶しかないし

何かを買ってくれたのもじぃちゃんや叔母

 

いろんな習い事も

叔母から

 

叔母が生前(若くして癌で亡くなった)

直系18cmくらいの小さな洗面器を持ってきて

こう言いました

『これがあなたのお風呂だったのよ』

 

また僕と疎遠になって

病床に耽った頃には

『あの子はどうしてるのかしら』と

ずっと心配していたとのことでした

 

思えば

僕が生まれた頃は

まだ学生だったはずの叔母

 

なんで学生が僕のお風呂や世話をしているのか

 

あまり深く考えなかったのですが

不自然ではあります

 

小学生になっても

母の記憶は少なく

 

増してや一緒に食事したことも

記憶にないような

 

食事は自分達で用意が原則でしたし

ヤマザキデイリーストアで

パンを買ったり

 

電子レンジで何か温めて食べるとか

 

後はじぃちゃんが休みにわざわざやってきて

作ってくれたりとそんな感じでした

 

イシイのハンバーグというやつがあり

結構好きなのですが

妹はそれ自体見たくないと言いました

 

それは

母が手抜きで

それを多用したからだそうです

 

妹曰く

『あの人は料理が面倒なんで何でもお金で解決してた』

 

思い起こせば

遠足かなんかでハイキングに行った時

 

お弁当箱の中に

「これで何か買って食べなさい」と

1000円札が入っていて

山のどこで買うんだ!という笑い話があるのですが

本当にそういう人だったようです

 

母は虐待こそないけれど

育児の出来ない人だったようで

 

それに気付いた妹は

それを反面教師として

その後の人生を築いていき

今では子供たちと仲良く暮らしていますし

 

時には相談役として

成人した子供たちをまとめています

 

それに気付けずに生きた僕は

多少違和感はあれど

そういう家もあるからと

肯定して受け入れた結果

 

親との関係が全く作れずに育ち

親が離婚後は親とも親戚とも関係を断ったため

修正する機会もなく

修正が必要とも気付かず

 

結局

親の愛情を得られなかった

子供のまま

生きてきてしまいました

 

愛着障害、アダルトチルドレン

そんなところです

 

最近

親戚や妹と会い

話を聴いているうちに

やっとそれに気づき始めて

 

なるほど

パートナーとの関係づくりが

難しいわけだと納得

 

僕は

家族になりたいパートナーに

母から貰えなかった

愛情を求めてしまうのだと思います

 

大好きなはずの

パートナーに対して

衝動的に

拒否したり拒絶したりしてしまう天邪鬼

 

猫様を

置いて旅行に行くとはひどいと

旅行に行きたい彼女を

無責任な人だと言ってしまったのは

 

子供の頃に

家に残した生き物が亡くなった

トラウマだと主張してましたが

それもきっと同じで

 

猫好きの

信頼できるご近所さんは

たくさんいるので頼めば良かっただけのこと

 

問題の本質は

そういうことをせずに出かけた

僕の親の問題であり

パートナーには関係のないことでした

 

そして

僕も行けば良かっただけです

 

本当は行きたかったのだし

最初は彼女も一緒に行く?

と誘ってくれてたのだし

 

本当に知るべきことは

母や自分自身のことだったんですと

今さら思います

 

もっと早く

妹や親戚と会って

愛着障害に気付ければ

違う人生があったんだろうなと思います

 

他人に言われても気にならない

どうでもない言葉でも

パートナーだと敏感に反応してしまったり

 

キッチンが片付いてないと

他の人のことも考えてと言ってしまったり

 

結局何らかの理由を付けては

パートナーの所為にして

自分を正当化してしまうのだと思います

 

これが

友人や同僚だったら

どうでも良いことなのに。。。

 

僕は

パートナーに

認めて欲しくて

褒めて欲しくて

自分を見て欲しくて

駄々をこねる子供でした

 

綺麗に掃除するのも

褒めて欲しいからですね

 

だから

褒めてくれないと

腹を立てるのです

 

言葉とは言え

見返りを求めてるんです

 

せめて

10年前に気付きたかった

 

自分を見つめなおして

帰りたくなったら東京へ帰ろう

 

もう

家買えなくてもいいや

 

今日走った海沿いの道には

ネットに載ってないような

民宿あったし

 

しかも

素泊まり3000円だって