――――――2011年12月12日投稿―――――2022年10月17日更新――――――

 

ヨハン・セバスチャン・バッハは、言うまでもなく、18世紀バロック時代に活躍したドイツの大作曲家であり、西洋音楽史における存在の大きさから「音楽の父」と呼ばれたりしています。

    

生前のバッハは作曲家というよりも、優れたオルガン演奏者として知られていました。 若い頃から宮廷オルガニストとして活躍し、多くのオルガン曲がこの時代に作曲されています。

  

その後も宮廷楽長や音楽監督として活躍を続け、教会音楽を中心に幅広いジャンルで作曲を行いました。 ところが、彼の没後は次世代の古典派であるモーツァルトやベートーヴェンの音楽が主流になって、バッハの音楽は急速に忘れ去られていきました。

   

バッハの死後100年たって、メンデルゾーンが当時まったく無名のバッハの曲に惚れ込み、世間に認めさせようと積極的に復活演奏会を開いたことがきっかけで、バッハの音楽は復活を遂げるのです。

    

「小フーガ ト短調」は、バッハのオルガン曲の中でも、「トッカータとフーガ」に並んで最も有名な曲です。フーガとは、1つの主題を基に複数の旋律が後を追って展開する様式。 よく似た形式であるカノンが「かえるの歌」のように同じ旋律を繰り返すのに対し、フーガはより自由な旋律も使えるため音楽の奥行きが広がります。

    

私はバッハのオルガン曲に関して、正直あまり聴きたいと思うことは少ないんですが、この曲だけは、美しく親しみやすい主題がフーガ形式で展開されていく様子が素晴らしく、3~4分の短い曲ということもあって、時々CDで聴いています。 

 

↓トン・コープマンのオルガンで。

 

 

「のだめ」では、第7話で千秋が飛行機事故を回想するシーンに使用されています。

   

10年前、ヨーロッパから日本に戻る時に飛行機が胴体着陸し、飛行機恐怖症になった千秋。 しかし、飛行機恐怖症の真の原因は、千秋の記憶の奥底にあったのです。

   

のだめが階段で水筒を落とし、階段を転がり落ちる水筒。 そのとき千秋の封印された記憶がフラッシュバックします。 モーツァルトの交響曲第25番 の音楽とともに、転がり落ちる水筒が転がっていく薬瓶の記憶へとつながり、そしてその先に見えるもの。 ここでバッハの「小フーガ」が流れます。

     

「何だ今の、あれはあのときの飛行機事故。 でも、初めて見る・・・人間?」

    

千秋の飛行機恐怖症の根本を示唆する重要なシーン。 「小フーガ」の美しく荘厳でしかもどこか切ない音楽は、この場面に打ってつけだったと思います。

 

 

この曲のCDは、オルガン演奏とともに管弦楽編曲版も色々出ており、私は1種類ずつ保有しています。

 

 

ヘルムート・ヴァルヒャ(オルガン)

ヴァルヒャは、盲目のハンデをものともせず、バッハのオルガン演奏および研究の頂点に立った演奏家です。 その演奏は確固たる造形力に支えられた、規範とも言うべき正統派の演奏。 まず1枚というときは、これを選べば間違いないでしょう。 録音は古いんですが、音は申し分なしです。
 

レオポルド・ストコフスキー指揮/ストコフスキー召集の臨時交響楽団

ストイックにバッハの対位法的構造を味わうというのであれば、オルガン演奏が良いのでしょうが、オーケストラの編曲版はやはり音色の変化があって楽しいです。「音の魔術師」と呼ばれたストコフスキーの編曲と指揮は、華麗でスペクタクル。臨時編成の交響楽団の腕前も素晴らしく、1950年台の録音ですが十分なクオリティです。