NHKの放送、
瞑想でたどる仏教 心と身体を観察する 蓑輪顕量先生(東京大学)
の番組を、自分の勉強のために、まとめてみました。
ブッダは、『心身を整えていくために環境をしっかりと整えていくということが大事』と述べている。
瞑想をするためにどのように環境を整えれば良いのか?
法句経・ダンマパダ
眼について慎しむのは善い。
耳について慎しむは善い。
鼻について慎しむのは善い。
舌について慎しむのは善い。
身について慎むのは善い。
ことばについて慎しむのは善い。
心について慎しむのは善い。
あらゆることについて
慎しむのは善いことである。
修行僧は、あらゆることがらについて慎しみ、すべての苦しみから脱れる。
瞑想の土台 環境を整える
感覚器官で受け止めることを慎む。なぜか?苦しみは、感覚器官を通じて入ってきて心をざわつかせる。と、考えられていた。あらかじめ遠ざけておいて入ってこないようにしておく。
私たちの心には戯論(けろん・心の拡張機能)が有る。次々と連想が起きてきてしまう。
修行の場所にふさわしいのは?
人里離れた所=アーラニヤ阿蘭若【あらんにゃ】林の中、森の中を指す。
在家さん(出家しないで仏門に帰依する人)の場合は、
五戒=不殺生戒:殺生(生き物を殺すこと)してはならない。
不偸盗戒:盗みを働いてはいけない。
不邪淫戒:不貞行為(不倫)を行ってはいけない。
不妄語戒:妄言(嘘)をついてはいけない。
不飲酒戒:飲酒(お酒)をしてはいけない。
(全部を守ら無くても良い。)文戒=一部分だけ守る。
日常生活から心をざわつかせるものを遠ざけておく考え方はすごく理にかなっている。
ブッダの教えは、大きく3つに分けられる。
三蔵=ブッダの教えを3つジャンルに分けて考えたもの。
教典『経蔵』
戒律『律蔵』
注釈『論蔵』
戒律を守ることによって悟りにつながる意識を持っている。
深い瞑想から得られること
整えられた状態の中で瞑想をした方がしっかり深いものが得られる。
観察の時に得られる知恵が得られやすくなる。
観察の時に得られる知恵とは?
名色の分離=何かを見た時、見ている対象のイメージが浮かびます。すると、イメージを見る自分の意識が有ることが分かる。イメージ(色)と観察する心の働き(名)に分けられる。
縁起=一方的な関係 色が先に有り名が起こる。色が無ければ名も無い。
縁起は、関係性と訳されることが多い。あるいは条件性。
初期仏教では一方的な関係性。
縁起 苦しみとの関わり
苦しみというのもその原因があってそれによって生じてきていると捉える。
元々の原因が無くなればその起きているものも無くなる。
戯論(けろん・心の拡張機能)が無ければ苦しみは生じない。
縁起に気づけるというのも深い瞑想を行うことによって気づかれてくる。
縁起は後世の大乗仏教では一方的ではなく相互依存の関係性となる。
さまざまな事物が存在している理由というのは、さまざまな条件が折り重なって目の前に出現しているというような関係性になっていく。
心を説明する原理だけでなくて世界を説明するための原理として応用されていくようになる。
すべてのものがつながっている感覚になっていく。
自己中心性を離れる。それを可能にしているのは縁起の考え方であり、自分を中心にして考える弊害点を越える部分を持っているのではないかと思う。
苦しみの解放から慈悲へ
苦しみから逃れた後はどう有るべきか?
ブッダは弟子たちに修行のその先について残しています。
『究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次の通りである。
能力有り、直く、正しく、言葉優しく、柔和で、思い上ることの無いものであらねばならぬ。
他の識者の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない。
一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。 目に見えるものでも、 見えないものでも、 遠くに住むものでも、 近くに住むものでも、 すでに生まれたものでも、 これから生まれようと欲するものでも、 一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。』
経集・スッタニパータ
慈悲=すべてに対し、さらに、これから生まれてくるものの対しても。
慈悲はどこから生まれるか?本来的に有るものと捉えても良いのではないか。
智慧=瞑想によって得られる気づき、名色の分離や縁起の発見なども含まれる。
仏教の二本柱=慈悲と智慧
次回へつづく
最後まで読んでいただきありがとうございました
みなさまに幸がありますように
~ステキな1日を~