私が小さい頃、古い母屋の玄関を入って振り向いた上辺に、その昔、街路に高札として立てられていたと覚しい#木簡が掲げてあった。幅が約80cm 高さは約50cmで上辺がへの字になっている板である。板は焦げ茶色に変色しており、太い筆で書かれた字は半ば剥げていた。木簡には「定 庶民は徒党を組むなど斯々然々の不埒な行為をしてはならない」旨の文字があり、末尾に「太政官」と記してあった。当時、庄屋だった先祖が用済みになった高札を取り込んだのだろう。この他、広い庭の天井には#輿入れ駕籠が釣ってあった。
その後、駕籠はネズミの棲み処となっていて煩いのと、何時何時(いつなんどき)バラけて落ちるかも知れない危険を避けるため下ろされたが、裏庭に放置されたままだったのでボロボロになったためその場で焼却処分された。一方、木棺は手付かずで掛けられた状態のまま古家を解体した際、屑と一緒に処分されてしまった。
(せめて高札は古家を潰す前に取っておけばよかった…と後悔して
いる。)
注:上文中の言葉の意味は次の通り
「高札・木簡」ご法度・掟などを記し、人目を惹く場所に高く掲
げられた板札のこと。
「太政官(だじょうかん)」明治時代の律令制で国政を統括する
最高機関のこと。
「輿入れ駕籠」昔の乗り物。大人1人がゆったり乗ることが出
来る箱型の庫で、庫の上部には頑丈な鼎が2か所設えてあり、
鼎に通された太くて強度のある長目の棒の 前に1人 後ろに1
人の担い手(駕籠かき)が付いて運ぶ、今でいえばタクシーの
ようなものである。
なお、商売以外に、駕籠は婚礼で婿殿の元に嫁ぐ花嫁の輿入
れ用として用いられた。その駕籠は嫁ぎ先の家の天井に吊り上
げられることが多かったようだ。