第3章「我が半」…「公務員 時代」⑲福井に転勤 ⑳3人の監察官 ㉑カントリーエレベーター | 獏井獏山のブログ

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⑲【福井地方局に転勤】

翌年3月の初め頃、第一部長室に呼ばれ、福井局勤務を言い渡された。

 …部長室に入ると、池上部長の横に岩中総務課長(小野課長の後任)が座っている。課長から、福井に転勤した場合の勤務条件などが説明された。

「遠方へ行って貰うのだから。」と前置きして、転勤後は出来るだけ早いうちに5等級に昇格させること、年度内に特別昇級させること、2年後には必ず近畿に帰すこと、などを条件として提示した。近畿管内の地方局は福井を除けば、近畿地方居住者なら最も遠方でも通勤可能な地理的条件下にある。福井局だけは転居を伴うため全職員が特別な関心を持っていた。その殆どは「出来れば行きたくない」というのが本音だった。そのため人事担当部局も福井の人事には慎重であった。

 

 突然の話に茫然としたが、私にはもう1つ課題があった。

当時の私には1年前に遭遇した交通事故の処理について加害者と交渉中であったが、相手方が誠意を示さないため地裁の調停に掛ける準備を進めていることを話し、この問題を放置して遠方には行けないことを説明した。

私としてはこの話が福井行きを断る決め手になると踏んでいた。ところが総務課長が「それなら誰かに頼めばいい。何ならワシが誰か代理人を探してやってもいいよ。それに調停は1ヵ月以上間隔を置いて開かれるから、その都度、君が帰ってきたっていいんだ。支障はないよ。」と、事も無げに云った。…調停が断りの理由にならないならどうしようもない。何かいい理由はないかと思案をしている時、傍に居た部長が「ところで、5等級には何時させるんだ。」と課長に聞いた。「ちょっと調べてきましょう。」と云って課長が席を外す。すると部長は私に向き直って「オイ、お前。行きたくなかったら断っていいんだぞ。5等級なんか、ここに居たってすぐ成れるさ。無理することないんだぞ。え?どうだ。…いいから今、俺に断れよ。さぁ、早くせんと課長が戻ってくるぞ。…お前が行かなくても代りは用意してあるんだ。君が断ったら宮川君、その次は山田君を予定している。…しかしだな。君が行って呉れたら一番ありがたいんだ。そういう気持ちはある。しかし無理することは無い。遠慮せずに君の気持をはっきり云いなさい。」と云った。そこまで云われては反って(みだ)りには断れない。特別な理由も思い付かない。その時すでに私は部長の言葉に参っていた

 

「さぁ。今、俺に断れ」と云い、「君が行って呉れたら有難い」と、気持を示された段階で私は受けることを決心していた。

「分りました。行かせて頂きます。」と返事すると、部長は「そうか。行ってくれるか。ありがとう。」と云った。

総務課長が戻ってきて、昇格については明確には示せないが、5等級に該当する号俸になれば優先的に昇格させる旨を説明した。

 

…5等級は1号俸が無く、2号俸が最低のランクになっている。一方、6等級で5等級2号俸に該当するのは6等級5号俸である。つまり6等級5号俸と5等級2号俸の給与が同額である。ところで、その当時の私のランクは6等級3号俸だった。昇級は年に1回、私の場合は7月1日であるが、その昇級を入れても6等級4号俸で、5等級2号俸には手が届かない。順当に行って6等級5号俸になるのは次の年の7月である。また、6等級5号俸になったからといって機械的に5等級になるとは限らない。6等級6号俸~7号俸になってから5等級の3~4号俸になる者もざらに居るのだ。

総務課長が云わんとしたのは、6等級5号俸になれば。先ず確実に5等級にする。場合によっては同年度内に特別昇級すれば来年の7月を待たずして5等級になることもあり得る。…そういう優遇措置も考えている、ということである。

 

私はその場で、①勤務期間は2年間、②年度内の特別昇級、③優先的昇格、④調停の必要に応じて何時でも大阪に帰ってきていい、という4項目について課長の確約を貰い、その旨は福井局の鈴本局長に対しても、「局」の責任に於いて徹底すると共に、次の総務課長にも引き継ぐことを約して話し合いを終えた。

 

転勤の内示はまだ発表されてなかったが、その頃私は、よく一緒に飲みに行っていた大先輩の鴫原さんの所に行って事情を話し、調停の代理人になってくれるよう依頼した。鴫原さんは二言返事で快く引き受けてくれた。次の日、休暇をとって妻と一緒に河内の実家に行き、両方の両親に報告した。私の母は「この前、東京から戻ってきたとこやのに、なんでまた遠いとこへ行かなあかんの。」と例によって心配を先に募らせたが、妻の実家で義父に話すと、「公務員になった以上は我儘云うてたらあかん。娘と孫は責任もってウチで預かる。心配せんと行ったらよろし。」と励ましてくれた。…その時妻は2か月余り先の6月に出産を控えた身重な身体だったのである。

 

 …このような経緯で私は福井地方監察局に転勤した。

 私は後年、地方監察官(地方監察官は、ブロック「局」の上席副監察官の下に当るランク)として2度目の福井勤務をすることになるので、この時が最初の福井勤務である。

 

 転勤して最初に鈴木局長に挨拶した時、「局」で総務課長と交わした4項目の約束について切り出すと、局長は「総務課長から聞いています。私は全て呑みました。その点については心置きなく仕事に励んで下さい。」と即座に約束してくれた。その上で局長は「今度入るあなたの宿舎は5等級用だそうだよ。財務局は5等級以上でないと入居させられないと兎や角云ったけど、近々5等級にするから、という条件付きで漸く獲得したんだよ。」と説明した。

その後、局長は「局」に出張して戻る度に私を呼んで「宿舎の入居資格を付けるためにも、早く昇格させてくれるよう「局」に頼んできたからね。」と云っていた。そして何と、その年の7月1日の昇級時に、私は5等級に昇格したのである。

 

 本来的には7月1日の定期昇給で6等級4号俸だから、5等級になるには1号俸不足している勘定である。つまり「飛び昇格」した訳だ。そこで局長は私を呼んでこういった。「5等級昇格の約束は果たしたね。それから特別昇級の約束もあったけど、飛び昇格したので特昇したのと同じだから、これも済んだと解釈してください。福井は小局だから特昇枠が少なくてホントに遣り繰りが大変なんだ。あなたと約束した分は他に回させて貰うからね。」「勿論です。」私は了解すると共に謝意を伝えた。…その他の約束も、鈴木局長は全て果たしくれた。

 

⑳【人それぞれ・3人の監察官】

私が配属された福井局の第3監察官室での2年間に仕えた監察官は加藤さん、五十嵐さん、三個さんの3人である。

 

最初の加藤さんは非常に管理能力を持った紳士であった。この人からはその後に於ける監察業務で役立つ多くの知識を与えられた。

 

2人目の五十嵐さんは加藤さんと同じく福井局の発足当初から勤続いしていて、福井のことなら何でも知っており、監察経験も豊かで仕事にも熱心だったが、私の目から見て一癖ある人物だった。その癖を最も顕著に現わしたのが「地域開発促進監察」の時である。

 

この監察は所謂「大型監察」で、本省が力を入れて多数の局を動員して行った中央計画監察であった。福井局では担当の第3監察官室が、第2監察官室から応援要員を動員して所謂「挙局体制」で調査に臨んだ。局長以下、この監察に対する関心が高かったし、担当者も実地調査には気合が入っていた。ただテーマの幅が広く、本庁の狙いも的が絞れていないため、調査の焦点をどう絞るかに苦労した。そして私としては本庁が示した調査項目に対応する報告書の内容はこれ以外にないだろうと、ある程度自信を得た「監察結果報告書」を書き上げて監察官決裁に臨んだ。

 

「伯井さん、ちょっと来てください。」私の報告書を読んでいた五十風監察官が呼んだ。「この部分を、こんな風に書き直してください。」と云って報告書を私に返した。自分の席に戻って指摘された箇所を見ると、私が担当した項目の中で最も重要な細目の報告文が約10行ほど鉛筆で削除され、その行側に鉛筆書きで訂正後の文章が書き添えてある。それを読むと、内容が本庁の求めていることとは筋違いのモノになっている。話にならない。よくもこんな修正をしたものだ、と呆れた私は直ぐに監察官の前に行って「ここは私が書いた内容でないと本庁が求める答えにならないですよ。このまま上げて下さい。」と云って浄書せずに突き返した。他の担当者の報告書を呼んでいた監察官は顔も上げずに声だけで「あっそう」と返事するのを尻目に私は報告書を机の端に置いて席に戻った。…その日はそれで終わったので私の説明が通じたものと思っていた。

 

ところが翌日、監察官が私を呼んで「この部分を、こんな風に書き直してください。」と、昨日と一言一句の違いもない言葉を発したのである。一旦、報告書を持って席に戻った私も、昨日と同じ言葉を返した。次の日も監察官は同じ指示をし、私も同じだった。どちらも引こうとしないまま、そんな事が4~5回繰り返された。仕方なく私はこの遣り取りを局長に話した。局長は説明を聞いて、私の報告内容が妥当であることを理解した上で「分った。じゃ、キチッとやりましょう。」と、だけ云って私を帰した。

 

翌日、局長が監察官の所まで来て「五十嵐さん、今回の監察についての検討会をまだやって無かったね。明日やりましょう。」と指示した。

次の日の午後、局長室で検討会が開かれた。監察計画書の調査項目順に各担当者が調査結果を説明した。私が説明を終えた時、局長は「いいじゃないですか。ねぇ、五十嵐監察官。」と云って監察官の反応を窺った。「はい、結構かと思います。」余りにも呆気ない返事が返ってきて私は驚いた。

この検討会は、私の担当項目の1つの細目に関する監察官との意見調整を主目的にして開催されたといっても過言ではない。それが局長の一言、時間にして数秒で片が付いたのである。

 

3人目の三箇さんは長年、地元の富山局で勤務して初めて管外、といっても地元に近い福井局に監察官として転勤してきた人である。富山では総務の仕事一筋で過ごしてきたため、監察業務は専門外だった代わりに「出張旅費の確保とストーブのお守は俺が引き受けるから、皆は心置きなく仕事に打ち込んでくれ。仕事の内容については一切任せるが、責任はワシが取る。」と、冗談紛いのことを云っては職場の雰囲気を盛り上げていた。

 

㉑【カントリーエレベーターの管理運営に関する地方監察】

福井局勤務での2年間で特に印象に残っているのは「カントリーエレベーターの管理運営に関する地方監察」である。

 

福井局に転勤した最初の年の秋、「今年も又、カントリーエレベーターで焼け米が発生」という見出しの新聞報道があった。

福井県といえば銘柄米「こしひかり」で有名な米産地である。米の管理の良し悪しは直接、地域経済を左右する重要事項である。

焼け米事故を起こしているのが公営のカントリーエレベーターだったので、その原因を究明し、管理運営の改善を図るという観点から福井局独自の地方計画監察のテーマとして取り上げたものである。

 

調査対象には事故を起こした公営施設のほか、民間の施設を2か所選定し、その運営状況を詳細に調査して比較検討しながら事故要因を探ることにした。機械の性能はどうか、故障時のメンテナンスは迅速に行っているか、操作職員の人員や経験と配置状況、日々の操作の手順等に齟齬は無いか、特に、貯蔵庫への米の入れ替えや送風を怠って籾が発酵するような事はないか、等は特に重要な事項である。

 

公営施設については丸々1週間、民間施設については各々3~4日かけて、機械の性能や運営組織についてのヒヤリングの後、機械の稼働状況、配置要員の動きの状況、モミの流れと保管状況などについて、農家からの籾の受け入れから乾燥・保管・搗精までの手順を追って、現場調査のほか過去の記録を詳しく調査した。

しかし、3施設とも操作手順、乾燥の為の籾の入れ替え・送風の頻度、機械故障の発生頻度と対応、などの点にこれといった差は無く、一応の調査を終えた段階では問題点が把握できなかった。

 

普通はこの段階で臭うものが数点出てきて、そこを一押しすれば何らかの問題点が浮かび上がってくるものなのである。その臭いが立ち込めてこない。このままでは次に進めない。「初心に返れ」というのが調査の鉄則である。私は、施設ごとの調査結果を一覧表にして横並べにし、初めからもう一度、逐一、手順を追って比較してみた。

そうすると、朝の操業開始から午後7時の就業までの施設内の動きは3施設とも殆ど同じであるが、たった1つだけ公営施設と民間施設の間に違いがあった。

農家から持ち込まれる籾の受け入れ時間である。民間施設は午後6時半まで受け入れているのに対し、公営施設では6時までで打ち切っていたのである。この差に問題の糸口は無いか。私は農協が紹介してくれた農家で話を聞くことにした。そして次のことが分かった。

 

稲の刈入れ時期になると、カントリーエレベーターを利用する殆どの専業農家では、コンバインで刈り取って麻袋に詰めた籾をそのままカントリーエレベーターに運び込む。これらの農家では朝の露が乾いた頃から午後6時頃まで刈入れ作業をするのが習慣になっている。

このため、民間施設に納入する分は施設の受け入れ時間に間に合うが、公営施設に納入する分は、一部、受け入れ時間に間に合わず、自宅で待機させたまま、翌日納入していたのである。

 

カントリーエレベーターに持ち込まれた籾はその日のうちに貯蔵庫に投入して乾燥に掛けられるが、一夜、袋のままで自宅待機させた籾は芯まで水分が染み込んでいて、カントリーエレベーターにおいて通常の工程で乾燥・保管管理されても発酵して焼け米になっていたことが分かった。

 

この問題は、1つの施設が「籾の受け入れ制限時間」をたった30分早めたことで、農家に於いて水分を含んだ籾を一晩中寝かせたことが焼け米発生の原因になったものである。

 

稲の刈入れ作業を5時半に切り上げれば問題は避けられるが、まさか、そんな事が焼け米の原因になっているとは考えもしない状況下では、猫の手も借りたい多忙時に作業を切り上げることなど考えも及ばないことである。

当局が調査結果を纏め、公営施設に対し改善を求めた結果、籾の受け入れ時間を民間施設と同様の6時半に改めることにより焼け米の発生は無くなった。

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【その他】最初の福井勤務の2年間には、農業関係、地域産業関係などの監察・調査を実施して改善効果を上げることが出来た。

又、仕事以外では、熊谷さん達とスナック「ニュー・ボヘミアン」を中心に彼方此方で酒を浴びるほど呑み、その上、帰り途中に熊谷さん宅に立寄ってコップ2杯のサントリーレッドをガブ呑みして肝臓が破裂しかかったこともあった。また管内卓球大会では福井局が奈良、和歌山局以外で初の優勝を遂げた。…総体的に楽しい2年間だった。